諸君、私は和服が好きだ。
諸君、私は和服が好きだ。
諸君、私は和服が大好きだ。

巫女服が好きだ 振袖が好きだ 留袖が好きだ 浴衣が好きだ 割烹着が好きだ
神社で 仏閣で 旅館で 台所で 晴れの日で 縁日で
この地上のありとあらゆる所で身に纏われている和服が大好きだ。

(回想)

私の通う学校は、偏差値も高くないくせに規則だけはやたら厳しかった。
月イチで行われる服装点検での教師の所業は、それはもうバカとしか言い様が無いほど熱心だった。
髪の色、ピアス、ベルト、ズボン丈、女子制服のリボン、スカート丈、カラー。
何がそんなに楽しいのかと聞きたくなるほど、彼等は違反を探すのに一生懸命だった。

当然、それは文化祭と云う行事に関する面でも変わらなかった。
むしろ大きなイベントであるだけに教師陣も躍起になっていたのかもしれない。
公序良俗がどーたらこーたらで、高校生らしい模擬店の内容が云々何々で。
制服以外の衣服を着用しようとした場合には、『異装届け』なる書類を生徒指導課に提出しなければならないほどだった。

時刻は、六時過ぎ。
茶道部の部活を終えた私は一階廊下をてくてくと歩いていた。
自販機で買った紙パックのイチゴ牛乳をちゅーちゅーと吸いながら。

「おーい」

声を掛けられた。
場所は書道部室の前。
他の例を考えるまでもなく、沙紀(仮)だった。

「やっ」
「よ」

お互いにしゅたっと右手を挙げて挨拶を交わす。
馴れたもんだと、私は思った。

「あれ? 今まで何処にいたの?」
「作法室だが」
「……ホントにお茶部だったんだ」
「信じてなかったなお前」
「あ、あは、あははは」
「ったく。 で? 何の用だ?」
「そうそう、金さんが探してたんだよ。 ひょっとして『また』何かやった?」
「お前その言い方はまるで俺が―――」
「ちょっとkeiji!」

不意に響く、多少の怒りを纏った声。
ひょっとしたら本当に私は『何か』をしたのだろうか。
そんな事を思わせるに充分なほど、金さんの声は切迫していた。

「な、なにデスカ?」
「『中』の店、一体どうなんってんの!」

知らんよ。
言ったらもの凄くおっかない事になりそうだったので、突っ込みは心の中だけにしておこうと思った。

「さっき、職員室に行ったら結構大きな騒ぎになってた」
「何が、どうして」
「ハッサンとクマサンが異装届けを出しに行ったら、荒川先生(全校指導担当)にダメ出しされたんだって」
「……で?」
「スーツを着る目的を明確にしろって言ったら、何、アンタ達『中』でホストクラブやるって?」

あのバカ。
何でそんな事を暴露するか。

「どう云う事だって問い詰めても、ハッサンとクマサンはしどろもどろで殆ど要領を得なかったらしいし」
「……なるほど」
「訳の判らない生徒に使いっ走りをさせるなんてけしからんって荒川先生は怒ってるし、そもそもホストクラブなんて論外だし」
「……」
「それ以外にも。 学校の備品の無断使用とか教室内装飾の規則違反とか。 ウチのクラスは問題行動が多すぎるって」

ふと、横を見る。
別に席を外していても構わないのに、沙紀(仮)は私の横から動こうとしなかった。
めちゃくちゃに、不安そうな顔をしながら。

「とにかく、そゆ事。 アンタが責任者なんだからケツ持ちなさい」
「んなっ? 誰が責任者か!」
「あ、それと。 教室でハッサンとクマサンが怒りに任せて暴れてるらしいから、それも何とかしなさい」
「ちょっ、ちょい待て!」
「じゃ」

去っていく、金さん。
全てを人に丸投げして帰っていくその去り方は、憎らしいほどに鮮やかだった。
残されたのは、二人の生徒と山積みの問題と重すぎる空気。
手持ち無沙汰に吐き捨てた言葉は、幾分か刺があるような気がした。

「……っち、面倒臭い事に」
「ねぇ……」
「おう?」
「……ダメに、なっちゃうの?」

蚊の鳴くような、小さな声。
自分が怒られた訳でも無いのに、沙紀(仮)はとんでもなく萎縮していた。
気付かなかったんだろう。
ウチのクラスが内包していた様々な問題に。
そしてまた、その問題は私が沙紀(仮)に気付かせたくなかったものでもあるのだが。

「ダメって何が」
「スーツ着るのも……『中』でお店やるのも……全部」

恐らくは。
このまま放っておけば『中』の店は出店禁止処分を喰らうだろう。
そこまでは行かなくても、少なくとも皆で考えた形での出店は望めなくなる。
スーツもまた然りだ。
それを着る意味自体が如何わしいのだから、許可を得るのは難しいだろう。
荒川を怒らせ、職員室全体に『スーツ云々』の事が知られているなら尚更に。

「ま、その可能性が今の所は一番高いな」
「がんばって……よ」
「あ?」
「だってっ! ……だって最後の文化祭だよ?」
「……」
「がんばろう……よぉ」

縋る様に。
許しを乞う子供の様に。
土砂降りの中に捨てられた子犬の様に。
頼るべき人間が私しか居ないような眼差しで、沙紀(仮)が私を見詰める。

人に頼られるのは、あまり好きじゃない。
誰かの期待は重荷になるし、沿えなかった場合には自責の念が普段の数倍にまで膨れ上がる。
何も出来ないふりをして過ごすのは、とても楽だった。
だが。

「はぁ………期待はするなよ」
「ぁ、う、うんっ」

どうにも沙紀(仮)の眼差しを無視する事は出来なかった。
大きく溜息をつき、擦れ違いざまにその頭をぽむっと叩く。
期待をするなと言うのに、沙紀(仮)はとても嬉しそうな笑顔を見せたものだった。

自己中心的で。
面倒臭がりで。
自分さえ良ければそれで良いと十数年間思い続けてきた。
そんな、ひょっとしたら人として底辺の方に居るんじゃないかと思われるような思考回路を持つ私は、何故か『誰か』のために職員室に向かって歩き出していた。

作法室の前を通り、自販機の前を通り、階段を昇り、眼前にある扉をノックもせずに開ける。
確固たる意志を持ち、不退転なる決意を胸に、ついでに荒川に対する怒りも握り締め。

「3−Bの代表者ですけど、荒川先生、居ますか」

職員室中の視線がこっちを向いた、ような気がした。