沙紀(仮)は、近年稀に見るくらいどじな娘っ子だった。
そしてそれ以上に、『いぢめてオーラ』の出ている小娘だった。
掃除中も、調理実習の時も、それこそ文化祭の模擬店設営でてんやわんやな時も。
女友達の輪の中に居る時ですら何かしらドジな事をやらかしては曖昧な笑みで場を和ませていたのだから、
やはり『いぢめてオーラ』はサドっ気全開の私の目の錯覚などではなかったのだろう。
うん、そーゆー事にしておこう。

(回想)

死屍累々の惨状を乗り越えて、ジョン・トラボルタもびっくりなスーパーテンションを乗り越えて。
ようやっと辿り着いた文化祭当日の朝は、万年遅刻寸前の私ですらも早起きさせると云うファンキーな効能を持っていた。
もとい、そう簡単に遅刻できるような状況ではなかった。

『明日までには何をどうやったって絶対に間に合わない』
文化祭前日の午後7時を越えた時点で辿り着いた素敵に無敵でしかも残酷なまでの結論は、しかし3-Bの野郎共には至極あっさりと受け入れられた。
具体的に言うと、蛍光灯を覆う赤やピンクのセロファンが足りなかったり、妖しげなイベントを行なうステージの補強の為のテープが足りなかったり。
何故にそこまで計画性が無いのか彼奴等はと頭を抱えてはみたものの、残念ながら担任の策略によって『中』の責任者は私に一任されていたりした。
責任者は、責任を取る為にいる。
神は死んだのか、と思った。
死んでいないのなら俺が殺してやると、イチゴ牛乳を飲みながら本気でそう思った。

そんなこんななので、自称『最終兵器無責任男』の私も流石に寝ている訳にもいかなくなった。
普段は8時45分までに登校すればいい学校に皆を7時半に呼び付け、そして私は7時には既に教室の中に。
こんなに早くに学校に来たのは、あの夏の日、『前日の朝まで飲み会から直接学校に舞い戻った事件』以来の事だとか思った。
いやー、あの日は本気で死ぬかと―――

ガラガラガラ

「うわ、はや」
「…お前こそ。 普段は遅刻寸前危機一発娘のくせに」
「ち、遅刻寸前って…キミの事も昇降口でよく見るんですけどー」
「当たり前だ。 俺も遅刻寸前なんだから」
「いばることかなぁ…」

首を傾げながら自分の荷物を私の足下近くに置き、近くにあった椅子を引き寄せてよいしょっと腰掛ける沙紀(仮)。
朝もはよから爽やかなる軽口を叩かれながらもこの小娘、どうやら私と二人きりの教室から逃げ出す気は無いようだった。

それから15分ほど後。
ようやっとの事で現れた第三者は、人を嫌う事をあまりしない私がそれでも「嫌い」と言える数少ない人間の内の一人だった。

「……ちょっと部室に行ってくる」

顔を見るだけで瞬間的にムカッとしてしまった私は、しかし祭りの初っ端から周囲に不快感を撒き散らす事だけはしたくなかった。
周囲と言っても教室内に居たのは私と沙紀(仮)だけなのだったが、だからこそ―――
できるだけ不自然にならない様にとびっきりの『普通』を装い、私は教卓から飛び降りて沙紀(仮)に背を向けた。
だが。

はしっ

羽織っていた和服の裾に感じた、僅かな抵抗。
ともすれば気付かずに捨て置いてしまいそうな、微かな引っ張り。
はて何事かと振り向くまでもなく誰の所作かなんて事は判り切っていたのだが、それでも私は振り向いて確かめてみた。
そこにはやっぱり、沙紀(仮)が居た。

「………(ふるふるふるふるっ)」

着崩された裾の、それも端っこを握り締めながら、ふるふると小さく首を横に振る沙紀(仮)
捨て犬っぽく『何か』を訴える瞳は、気の所為じゃなければかなり本気で困り果てていた。

「……ひょっとして、アイツと二人っきりは嫌とか?」(超小声
「……(こくこくこくこくっ)」

嫌、らしい。
何もそこまで嫌わなくたっていいじゃないかとは思ったが、現に逃げ出そうとしていた本人が言っても説得力が無いのでやめておいた。
代わりに、『了承』の意を込めた溜息を、一つ。

「はいはい、判った。 判りました。 次に誰か来るまでは此処に居ます」
「……ごめん」

私が出て行かない事を理解して、沙紀(仮)がようやっと着物の裾を手放す。
「ごめん」と謝るその表情が本当に申し訳無さそうだったので、私はそこでまた一つ、溜息を吐いた。
少なくとも私は、私の嫌うアイツよりは、沙紀(仮)にとって傍に居る事を許される人間であるらしい。
ちょっと、いやかなり、嬉しいだろバカ。

5分後。
『次』に来た奴は、私は別に嫌ってないけれども、クラスの中ではちょっとアレな野郎だった。
嫌ってない相手だから席を外す必要も無かったが、実はお茶部に用事がある事も事実。
今度こそ本当に『普通』に、私は沙紀(仮)に背を向けた。

「ほんじゃ、ちょっと行ってく―――

ひしっ

服に抵抗。
くるっと振り向く。
沙紀(仮)

「……(ふるふるふるふるっ)」

またしても私の服にしがみつく、こいぬ系同級生。
一生懸命に首を振る姿は、心なしか1回目よりも必死な様にも見えた。

「……ひょっとして、アイツもダメ?」
「(こくこくこくこくっ)」

ダメ、らしかった。
何もそこまでダメ出しする事も無いじゃないかとも思ったが、ダメな奴と嫌な奴とが一緒になってしまった教室に独りで残すのも可哀想だと思った。
やれやれ。

「判ったよ。 まだ行かないから」
「……ごめん、なさぃ」

謝る必要など微塵も無いと思ったが、それを口に出せるほど私は正直に生きてはいなかった。
精一杯に『しょーがない』風な態度をとりながら、だけれども薄く浮かぶ笑み。
結局、一人目の『女の娘』が来るまで私はずっと教室に居た。
楽しかった。