相手が勝ち誇った時、そいつは既に敗北している――ジョセフ・ジョースター
俺に恋愛の相談をした時、そいつは既に振られている――keiji
思い返せば過去のどの事例でも、私が相談を受けた恋物語は、その悉くが『失恋』と云う結果を迎えている。
そろそろ『色恋ブレイカー』と呼ばれる日も近いのではないかと思うし、その噂が広まって私に相談を持ちかけてくる人間が少しでも減れば良いと思っている。
減れば良いと思ってはいるのだが――

* * *

九月下旬。
文化祭の余韻覚めやらぬままに、しかし教師の手によって確実に学内の雰囲気が受験戦争へとシフトチェンジされようとしている、高等学校三年生にとってのまさに端境期。
まるで毎日が定期テスト直前のような張り詰めた空気の中。
私は、掃除時間中の廊下で一人の女子生徒に声を掛けられた。

「ねぇ、山田(仮)ってさ、さっちん(沙紀の愛称らしい)のこと好きなんでしょ?」
「……知らない」

そして山田(仮)がどうこう以前の問題で、俺はキミの名前すら知らない。
口に出したら恐ろしい勢いでBAD ENDに直行してしまいそうだったので、私はどちらの事柄に対しても無関心を装う事にした。

「まったまたー。 知らないって事はないでしょー、いくらなんでも」

いくらなんでも。
そう、確かに最近の山田(仮)の態度は、傍から見ていて『いくらなんでも』の域に達するほど積極的なものだった。
私が把握している限り、とりあえずメールアドレスの交換は既に済ませているはずである。
それから、漫画やCDの貸し借りも――これは廊下で偶然その場を見かけただけなのだが――しているようだ。
文化祭以前に比べてみれば、山田(仮)と沙紀(仮)の関係は驚くほどに急接近している、ような気がする。
勿論、漫画のタイトルやCDのジャンルなんて細かな部分までは把握していないし、メールでの遣り取りなんて知ろうとする気も起こらない。
ただ、『山田(仮)が沙紀(仮)にギャルゲーを勧めた』とか珍妙な情報さえ入ってこなければ、それで私の学校生活は概ね平和に過ぎていくのである。
過ぎていく、筈だったのに――

「ひょっとして、山田(仮)に何か口止めされてるとか?」
「………」

女は鋭い。
沈黙が肯定の意になりそうな雰囲気の中では、流石の私も黙秘を続ける訳にはいかなかった。
無論、彼女の質問に馬鹿正直に答える訳がないのだが。

「たまたま沙紀(仮)と山田(仮)の趣味が合ってただけだろ。 あの程度のくっつき方なら、むしろ健全なくらいだ」
「本当にそう思ってる?」
「思ってなかったとしたら、何がどうなる?」

質問に対して質問で返す。
あと数ヵ月後に控えた受験の面接では絶対にやってはいけない事を、私は意図的にやってみせた。
お前の質問に答える気はない。
だからお前も、俺の質問に答える必要はない。
会話を成立させる気のない私に対して、何か軽蔑の言葉でも一つ二つ吐き捨てて立ち去る事こそが、双方の精神安定のために最も効果的である。
そんな願いを込めた私のそっけない態度はしかし、今のこの場に彼女が抱いてきた想いに比べれば、取るに足らない事柄らしかった。

「………」
「どうした?」
「けーじ君さ……さっちんの事、割と気に入ってるよね」
「ああ。 あいつは実に面白いからな。 俺のお気に入りだ」
「……無駄に男らしいなぁ」
「無駄とは何事か」
「でも…うん、そうだよね。 お気に入りだよね…」

二言三言を口の中で呟き、暫しの逡巡の後。
彼女の意志は、固まったらしかった。

「けーじ君」
「ん?」
「耳、貸して」
「返せよ」
「つまんない」
「ごめんなさい」

怒られた。
そんでもって、お世辞にも優しいとは言えない強引さで耳を引っ張られた。
彼女の背は、私よりも二十センチばかり低い。
耳、痛い。
すごい痛い、マジ痛い。

「沙紀(仮)ね、今、かなり困ってるんだよ」
「………」

吐息がくすぐったい。
耳にした言葉が信じられない。
沙紀(仮)が困っている理由など、訊ねるまでもなかった。

「……マジでか」
「うん…」
「沙紀(仮)が、そう言ったのか?」
「『どうしよう』って、相談された」

『どうしよう』
状況を加味して脳内補完。
『山田(仮)がすごい積極的なアプローチしてくるんだけど、でも私は山田(仮)のことを恋愛対象としては考えられないし、どうしよう…』
補完完了。
ついでに、現状把握も完了。
悪いな山田(仮)。
俺がお前の恋愛成就のためにできることは、やはり何もなかったようだ。

それにしても、と私は考えた。
相談された、ね。
それはつまり、沙紀(仮)としてはあまり大っぴらにしたくなかったって事じゃないのか?
『相談』なんて言葉、普通は一対一の状況じゃなきゃ使わない。
そしてその相手に選ばれたのは、私じゃない。
なのに今、こうして事情を知ってしまっている。
何故だ。
山田(仮)も、お前も。
そんなにも大切な事を何故――

「何故それを、俺に言う」
「それは……山田(仮)と仲良い男子だったし…」
「そんなのは、他にも一杯居るだろ」
「うちのクラスで一番さっちんと仲良い男子だったし…」
「それは普通に気のせいだ」
「あと……」
「………」
「…けーじ君なら、何とかしてくれそうだった」
「それは100%気のせいだ」

断言した。
譲る気なんて、欠片もなかった。
私は役立たずであり、怠け者であり、人の気持ちを考える事のできない愚か者である。
多分にネガティブではあるが、生まれてこの方それだけをアイデンティティにして過ごしてきたのだ。
他の何を譲ったとしても、そこだけは否定される訳にはいかなかった。

「もう一回訊くけどさ。 けーじ君、山田(仮)がさっちんのこと好きだって知ってたんじゃないの?」
「………」
「もっと言えば、山田(仮)とさっちんをくっつけるための協力とかしてたんじゃないの?」

この女、一体何をどこまで把握しているのか。
何やら全てを見透かされている気がして、そして、既に終わってしまった恋に対する義理立ての必要はないと考えて。
私は、それ以上の抵抗を諦めた。

「――だから責任がある。 とでも言いたそうだな」
「やっぱり…」
「嘘をついてたのは謝る。 が、簡単に人に話すような事じゃなかったって点も判ってくれないか?」
「判るよ。 私だってさっちんから相談された事をけーじ君に話して良いかどうか、すごく悩んだんだから」

そう言って、彼女は薄く笑った。
放課後、廊下、共犯者の笑み。
それは、存外に心地良い感情の共有だった。
だが――

「さて……沙紀(仮)は今どこにいる?」
「たしかさっちんは図書室の掃除のはずだけど……ひょっとしてけーじ君…」
「図書室だな。 把握した。 じゃあちょっと行ってくる」
「ちょ、ちょっと待ってよっ。 行動に移すの早くないっ? もう少しこう作戦を練るとか――って言うか山田(仮)の所じゃなくてさっちんの所に行くのっ?」

少しだけ、私の目付きが厳しくなった。

「山田(仮)の所行ってどうすんだよ。 玉砕するって知ってる俺が、振られる為だけに『さっさと告白しろ』ってそそのかすのか? それとも俺の口から脈ナシだって言えってか?」
「あ…それは…その…」
「そりゃ告白もされてない内から断り文句を考え出すような自意識過剰な女は嫌いだが、今回ばかりは話が別だ。 何しろ俺が黒幕みたいな形になってんだからな」
「べ、別に私は黒幕だなんて言うつもりは…」
「……言葉のあやだ、気にすんな」

面倒臭い。
一切合財が面倒臭い。
これだから他人の色恋沙汰に首を突っ込むのは嫌なのだ。
惚れた腫れたなんぞ俺の知らない所で勝手にやっていれば良いものを、わざわざ相談持ちかけてきては明るくも楽しくもない人間関係に巻き込みやがって。

「けーじ君…顔こわいよ」
「生まれつきだ」
「沙紀(仮)に、何て言うの?」
「とりあえずは……『ちゃんと自分でフれ』、かな」
「…正論、だね」
「あいつには難しいだろうけどな…」

二人、やり場のない思いを溜息に乗せて中空に投げ捨てる。
残暑厳しい九月のこと。
蝉がまだ鳴いていた日のこと。
山田(仮)の恋が実らない事が確定してしまった、そんな日のこと。