『みかん絵日記』が好きな沙紀(仮)に、山田(仮)は『今日から俺は!!』を貸したらしい。
スピッツが好きな沙紀(仮)に、山田(仮)はTHE MAD CAPSULE MARKETSのCDを貸したらしい。
別に、だからどうだと云う訳でもないのだが――

* * *

「お前の時間を俺によこせ。 具体的に言うと十分ぐらいよこせ」
「な、なにそのイヤって言えないような命令口調…」

放課後、図書館、その片隅。
無意味なまでに不遜な態度を取る私に、露骨なまでの不信感を示す沙紀(仮)がそこにはいた。
気の進まない任務だけにノリと勢いで強引にこなしてしまおうと思ったのが、どうやら今回はそれが徒(あだ)となってしまったらしい。
仕方がないので私は、少しだけ真面目に話すことにした。
あくまで、少しだけではあるが。

「お前が嫌なら、俺は別に構わない。 今回はそんなお話しデス」
「そ、そーゆー風に言われるとすごく気になるんですけどもー。 しかも今度はなんでナレーター口調?」

そりゃ勿論、素のままじゃ口に出したくない話題だからだ。
思った事をすぐに声に出してくれる素直な沙紀(仮)の雰囲気に癒されながら、私は感情の欠片も含ませずに先を続けた。

「……山田(仮)の件、とだけ言っておく」
「へ……ぁ…ぇ、え?」
「ちなみに俺は全部知ってる。 何もかも知ってる。 事の経緯も、山田(仮)の本心も、それについてお前が困ってるって事も」
「……なんで?」
「説明には時間が必要だ」
「十分ぐらい?」
「お前次第」
「………」

暫しの思案の後。
沙紀(仮)は、意外なほど強い声でこう言った。

「場所、変えようか」

言外に私との会談を了承する言葉だった。

* * *

いくら放課後とは言え、ここは常日頃から尋常ならざる人口密度を誇っている『学校』と云う特殊な閉鎖空間である。
部活や課外やそれ以外の暇な人間でごった返している校舎の中で、そうそう都合良く二人きりになれる空間など――

「なるほど、書道室とは盲点だった」
「今日は部活のない曜日だからね。 コンクールも終わったばっかりだし、自主的に来る人はいないと思うよ」
「いくら盗む物が文鎮ぐらいしかないとは言え、施錠もしていないとは随分と無用心な――」
「文鎮なんか誰も盗まないです」
「硯(すずり)」
「盗まない」
「半紙」
「盗まないよ」
「他人の作柄」
「それ盗作って言いますよねっ?」

ドジっ娘のくせに、こんな所でだけ打てば響く。
やはりこいつの感性は万人に気に入られて然るべき物だと、少なくとも現在進行形で気に入っている私はそう思った。

「作法室もこれくらい無用心なら良いんだがな」
「作法室ってずっと鍵が掛かってるの?」
「ああ。 で、部活の時には一々教師の承諾を得てから鍵を持ち出すって事になってる」
「めんどいね」
「まったくだ」
「ところで、もし作法室の鍵がかかってなかったら、けーじ君はどうするの?」
「そりゃ勿論、畳の上で大の字になって寝転がりながら苺牛乳を飲む。 マンガも読む。 時には自分でお茶を立てて勝手に飲む」
「そゆ事する人がいるから鍵をかけるんだと思うよ…」
「俺もそう思う」

沙紀(仮)が苦笑した。
私は窓際にまで歩いていって、閉じられていた窓を半分だけ開けた。
夏の残り香が、部屋の中に緩やかに流れ込んできた。
そこには確かに、秋の気配も混じり始めていた。

「さて……どこから聞きたい?」
「……どこから始まったのか判らないもん」
「そうだな。 じゃあまずは一つだけ確認しておこうか」
「………」
「山田(仮)は、お前の事が好きだ」
「……そう、ですか」

沙紀(仮)は、困ったような顔をした。
『ような』じゃなくて実際に困っているのだと思い出した私は、心の中で「お前も大変だな」と労っておいた。
だが、態度には出さなかった。

「薄々は気付いてたんだろ?」
「……薄々は」
「後はそうだな……今更こんな事を言ってもどうにもならないだろうが――」


実は修学旅行の頃から仄かには気になっていたこと。
文化祭の最中には既に恋心を確信していたと云うこと。
祭りが終わってしまい、接点が消えそうで焦っていたと云うこと。
同じ大学になんか行けそうにないから、何とかして今の内に一つの『答え』を出しておきたかったと云うこと。
山田(仮)には悪いが、一切合財をぶちまけさせてもらった。

「……詳しいんだね」
「別に山田(仮)が誰彼構わずに喋り散らしてる訳じゃないぞ。 むしろあいつは、誰かと居る時は頑なにそっち系の話題を避けてるぐらいだ」
「じゃあ…なんでけーじ君が?」
「………」

きたか。
胸の内で深い溜息を吐きながら、私は過去の自分に対して思いつく限りの罵倒をした。
やはり他人の色恋沙汰になど首を突っ込むべきではなかったのだと、酷く後悔もした。
別に私が沙紀(仮)の事を好きだったからとか云う意味ではない。
沙紀(仮)が私に何か特別な感情を抱いているから、と云う訳でも勿論ない。
だがそれでもあの日私が選んだ選択肢は、やはりどう考えても間違いだったんじゃないかと。
思いながら。
気付きながら。
しかし無言を貫くために此処に居る訳ではない私は――


「俺が、協力してた。 山田(仮)の恋がうまくいくように、な」

名状し難い『何か』を、告白した。
暫く、無言が続いた。