これがもし少女漫画であれば、沙紀(仮)がぽろぽろ泣き出したりして、どこかに隠れていた親友のような存在の男が私を殴り飛ばしたりするのだろう。
これがもしギャルゲーであれば、この日を境にして沙紀(仮)と私が疎遠になり、ついには青空を背景としたモノローグが流れるバッドエンドを迎えたりなんかするのだろう。
しかしこれは少女漫画の中の物語ではなく、ギャルゲーの中で百回見たようなストーリーでもない。
胸がドキドキするようなヤマもなければ、誰もが納得するような完璧なオチもなく、ましてや意味など欠片も存在しない。
私を主人公とした現実世界の出来事など、所詮はその程度のものなのである。

* * *

「……なんで?」
「ん?」
「けーじ君は、なんで山田(仮)君に協力しようと思ったの?」
「頼まれたからだ」

即答した。
当たり前だ、誰が自発的にこんな面倒臭い事に首を突っ込むものか。
多大な後悔と若干の気まずさから、私の態度は普段の二割増し程度には厳しいものとなっていた。

「違うよ……そうじゃなくて…」
「なんだ」
「………」

沙紀(仮)が口篭る。
場の雰囲気が沈着していく。
『私』はそんなものになど頓着しない生き方をしているから別段どうと云う事も無かったのだが、沙紀(仮)にとってはどうやら違ったようだった。

「その、あの、山田(仮)君が…私が山田(仮)君と……えーと…」

『これ以上の沈黙』と『雰囲気の悪化』を等式で結んだらしき沙紀(仮)が、傍目にも判るぐらいの焦燥感に追われながら口を開く。
しかしそれは当然の事ながら、充分な思考の末に言葉にされたものではなく。
言うなれば、乱雑に積まれた思考のパーツをそのまま音声にしてしまったかのような物であって。

「けーじ君はー…ぅー…あー…」
「……?」
「わ、私と山田(仮)に、つ、付き合ってほしかったのっ?」

そんな物を真正面からぶつけられてしまった私が、つい沙紀(仮)の雰囲気に釣られて多少の混乱を来たしてしまったとしても、それは無理のない事なのであった。

「……お前と山田(仮)が?」
「うん」
「付き合ってほしいかって?」
「うん」
「………」
「………」

沈黙による空白の数秒間を利用し、混乱しかけた思考を自前の剛力で無理矢理元に戻す。
そして、考えた。
否、考えるまでもなかった。
何故ならその質問に対する答えなど――

「――そんな事、考えてもみなかったな」
「……はぇ?」
「考えてなかった。 うまくいってほしいとも、失敗してほしいとも」
「あ、あのさぁ……」

人の恋路には興味がない。
それは、紛れもない事実である。
今までも。
そしてこれからも。

「無責任だよ…けーじ君…」
「なんだって俺が奴の恋の責任など負わなければならんのだ」
「だ、だって協力するって言ったんでしょー?」

なんかムキになってる沙紀(仮)。
釣られてか、私も多少ムキになった。

「なあ……誰かの恋に協力する時ってのは、心の底から成功を祈らなきゃ駄目なのか?
 逆に、例えば今回の場合。 俺はお前と山田(仮)の恋愛に絶対反対の立場じゃなきゃ、協力を拒む事すらできなかったって云うのか?」
「そ、それは、その……」

ムキになった。

「俺の立ち位置は常に『どうでもいい』だ。
 どうでもいいと思っているからこそ、『頼まれたから』なんて理由で山田(仮)に手を貸した。
 成功してほしいと思ってるなら山田(仮)からの頼みがなくても協力したし、失敗してほしいと思ってるなら土下座されたって協力なんかしなかったわ」

告白するかどうかは山田(仮)次第。
成否の行方は、沙紀(仮)次第。
そこに私の意志や思考が介在する余地なんて、白血球一粒ほどすら存在しない。
根本的な部分で自らに累が及ばない事を知っていたからこそ、私は山田(仮)の恋に手を貸したりしたのだ。
だが――

「ただ、お前が困ってるって聞かされたもんでな」
「ぇ?」
「山田(仮)の恋の行方なんざどうなったって構わないんだが、さすがに誰かを困らせてるとなったら、な」
「……それ、誰から聞いたの?」
「それ?」
「私が困ってるって」
「………」

誰だっけ。

「えーと、アレだ、髪の短い娘。 お前とよく一緒にいる。 文化祭でも『中』にいたような気がする娘」
「……いーかげんクラスの女の娘ぐらい名前覚えなよ。 それ、ふっちんだよ。 史香(ふみか)ちゃん」
「ふっちんだな。 覚えた」

春の小川のせせらぎの如く、極々軽やかに、私は沙紀(仮)に嘘をついた。

「で、困ってるんだって?」
「こ、困ってるって言い方だとちょっとアレなんだけど…」
「……でも、嬉しい訳でもないんだろ?」
「……ん」

控えめにだが、確かに頷いた。
文化祭の頃によく目にしていた笑顔は、今はその名残すら見受けられなかった。

「……悪かった」
「ぅえ?」
「お前に迷惑かけようと思ってやった事じゃなかったんだが……いや、何も考えてなかったってのは余計に性質が悪いよな」
「え、あ、わ、私は別に……」
「ごめんな、本当に。 迷惑かけた」
「や…あ、謝らないでよ……けーじ君悪くないじゃん…」

馬鹿な。
考えのない行動で他人に迷惑をかけた人間が悪くないと言うのであれば、なら一体誰が悪いと云うのだ。

「山田(仮)も……悪い奴じゃないんだよ」
「……ん…わかってる」
「それに、お前だって悪くない」
「………」

誰も悪くない。
山田(仮)も、お前も、何一つ悪い事をしていないのに。

「実に言いにくい事だが……お前にはこれから、物凄く後味の悪いイベントが残ってる」
「……ぁ…うん…」

お前は、困ってる。
山田(仮)も近い将来、必ず辛い目に遭う。
だから恋なんてするべきじゃないんだと、私は思った。

「日取りまでは流石の俺でも判らないが、まぁ冬休み前までの間だな。 あと二ヶ月ぐらいの間に山田(仮)は、何らかの形でお前に告白してくるだろう」

判らないと言っておきながら具体的な予想をするならば、沙紀(仮)の推薦入試が終わりを告げる十一月の中旬。
今からおよそ一ヵ月後に山田(仮)は、『受験に集中したい』と云う沙紀(仮)の断り文句を事実上封殺した上で、勝負をかけてくるだろう。
そして沙紀(仮)にはそれをハッキリ断ってやると云う、何とも勝手に背負わされた義務が存在しているのだ。
迷惑だろう。
気が重いだろう。
だが、お前も山田(仮)の大切なモノを盗んだのだからしょうがないのだ。
お前が盗んだモノ。
それは…山田(仮)のココロです。
とっつぁーん!

「代わりに告白を受けてやる事も、代わりに振ってやる事も、そりゃやろうと思えばできるんだろうが……」
「……うん…わかってる…。 自分で言うよ、ちゃんと」
「そっか」
「ん」

決意は確認した。
沙紀(仮)は私の想像以上に強い娘だった。
しかしそれは同時に、元から私の出る幕ではなかったと云う事の証でもあった。
勝手に首を突っ込んで。
沙紀(仮)を困らせる一端を担って。
自分も原因のくせに困っている沙紀(仮)の力になろうとしたりして、しかもそんな物は必要なかったと気付かされたりして。
足踏み、空回り、右往左往した挙句に、所在無く立ち尽くす。
まったくもって、格好の悪い事である。

「……ねえ」
「なんだ」
「ひょっとしてけーじ君が私のこと微妙に避けてたのって、これのせいだったの?」

げ、バレてる。
内心の動揺を表に出さぬよう、私は再び流暢なる口ぶりで、嘘をついた。
そ知らぬふりをした。

「何の事だ」
「そー言えばそーだよ! 私と山田(仮)君が喋ってる時とか、けーじ君てば近くを通る事すらしなかったじゃん! 避けてたじゃん!」
「気のせいだ」
「ちっがうよ! この前なんか教室の前のドアから入ろうとして私と目が合ったくせに、隣に山田(仮)君がいたからってわざわざスルーして後ろのドアから入ってきたじゃん!」
「……なんでそんな事を克明に覚えてるんだお前は」
「……なんかムカっとしたから」

どうやら相当にご立腹の様子である。
何がそんなに気に喰わなかったのかは判らないが、近年稀に見るほどの勢いで沙紀(仮)は思い出しムカッとしていた。
だが、私とて素直に「ハイそうです」などと言う訳にはいかなかった。
何故なら、理由は……特にない。
男とは時に、不条理な感情に振り回されながら生きる存在なのである。

「目が合ったって挨拶もせずにスルーする。 意味もなくクラスメートを避けてみたりもする。 それが俺の生き方なんだ、許してくれ」
「……どれだけ反社会的なのさ」
「それに、朝っぱらから女人と会話をするだなんてのはな……」
「ど、どれだけ恥ずかしがり屋さんなのさ」
「いや、宗教上ちょっとマズイもんで」
「どんだけ危ない宗教に入ってるのさっ」

軽快かつ上々の鋭さを持ったツッコミを入れた後。
沙紀(仮)の表情に、ようやく少しばかりの笑顔が戻った。
特に理由もないが『これでいい』と、私は思った。

「よし、俺は帰る」
「けーじ君も少しは課外に出なよー。 金さん怒ってるよー?」
「お前は出るのか?」
「へ? そのつもりだけど――」
「時間的に見て、今はもうみんな必死で過去問やってる真っ最中のはずだ。 あの空気の中に好き好んで飛び込んで行こうとは、お前正気か?」
「ぅ……」
「あの、教室のドアを開けた瞬間に浴びせられる、鬼のような視線の集中砲火。 まさかお前がアレに耐えられるほどの精神力を持っていたとは、流石の俺でも知らなんだ」
「うぅ……」
「さて、俺は帰るけど?」
「……私も帰る」

ぽきっと。
沙紀(仮)の心が、真っ二つに折れた瞬間だった。
しかし現実とは非情にして、とてつもなく残酷なものである。
心の折れたか弱い女の娘の運命をすら、非道なまでに弄ぶものである。
そして私はいつだって観客席に座りながら、その悲劇を喜劇として楽しむ側に居たいと願っている。
時にはそっとその小さな女優の背中を悲劇側に押しながら、彼女が振り返った先で悪魔のような笑みを浮かべている。
そんな卑劣漢でありたいと、日々常に願っているのだった。
そう、それは例えば今この時のように。
この瞬間のように――

「帰るのはいいが、沙紀(仮)ちゃんや」
「はい?」
「お前、鞄は?」
「………教室、です…」

Good job! My favorite actress!
思わず親指をグッとやってしまいそうな程の満足感が、私の脳内を駆け巡る。
力なくしょげ返る沙紀(仮)の横でこの最悪な男は、それはもう底意地の悪い笑みを見せていたとかいないとか。
クスクス笑う姿を隠すために、何気ない素振りで窓を閉めたりカーテンを引いたりしていたとかいないとか。

「わ、笑うなぁ!」

そんでもって、しっかりバレていたとかいないとか。
今回は、そんな御話である。