1978年、夏。
京都府姉小路の路地裏で、一人の小学生が惨殺された。
殺害方法は至って凶悪で、口の両端を鋭利な刃物で耳まで切り裂き、その後に頚動脈を切断すると言った方法だった。
事件が起こったのは、午後四時半から午後六時にかけて。
これは異界との境界線が曖昧になると言われている誰彼(黄昏)時であり、事件の残忍さとも相俟って、近隣の住民は密やかに『妖怪』の存在を噂しあった。

それから二日後。
今度は同じく京都府の三条通で、再び小学生が惨殺された。
犯行の手口は全く同じ。
事件が起こったとされる時間帯も同一。
ただ一つ前回と違っていたのは、犯人を目撃したと言う人物が名乗り出た事だった。

「犯人は赤い服を着ていて。 長い髪を垂らしていて。 口が……耳まで裂けていた」

当初、警察はこの証言を「凄惨な現場を見て精神的ショックを受けた事による幻覚の類」だとして一蹴。
事件の犯人に対してもまた、ただの変質者の類であろうと言う見解を崩さなかった。
警察内部における『犯人は人間である』と言う認識は、この段階ではまだ崩れていなかった。

二度目の事件から更に三日後。
六角通を歩いていた中学生二人組みの内の一人が、またしても口を耳まで裂かれて殺された。
偶然にも通りかかった人によって命を助けられたもう一人の中学生は、犯人の風体についてこう語った。

「犯人は赤い服を着ていて。 長い髪を垂らしていて。 口が……耳まで裂けていた」

外部秘であったはずの犯人像と全く一致した証言が飛び出した事に、警察は混乱の様相を隠せなかった。
結局この証言を切っ掛けに、警察は犯人の情報を一般に開示し、公開捜査へと踏み切ることにした。
残虐な事件の概要とあまりに異常な犯人の風体は、爆発的な勢いで住民の間に知れ渡り、皆がその情報に戦慄した。
京都市内の小中学校では恐怖のあまり、登校拒否に陥る生徒が頻出。
類似した背格好の人を見たと言う証言は数千件にも及び、「実際に遭遇した」と言う情報も後を絶たないようになった。
しかし送られてくる情報はあまりに荒唐無稽な物が多く、そのどれもが犯人を断定する材料とはなり得ない物ばかりだった。
そうこうしている内に、第四、第五の犠牲者が出たと言う噂が舞い込んでくる。
隣県でも似たような事件が起こったと言う情報も流れ出す。
疾走する噂の勢いは留まる所を知らず、当時の全国津々浦々を恐怖のどん底に陥れた。

曰く、100メートルを3秒フラットで走る(だから逃げても無駄)
曰く、そいつの着ている赤い服は元は白い服だった(返り血で赤く染まったのだ)
曰く、そいつは犯行に及ぶ前、必ずこう訪ねてくるのだと言う。

「ワタシ……キ・レ・イ?」

戦後日本最大の怪奇伝説、口裂け女の誕生であった。

それから時は流れ、2008年4月、春。
誰もが昭和を遠い昔の事だと感じ、当時に起こった出来事の全てを絵空事だと笑い飛ばすようになったある日のこと。
南関東千葉県船橋市で、一人の男性の死体が見つかった。
死因は外傷性失血死。
凶器は鋭利な刃物。
男性の死体は、口の両端が耳に届くまで大きく切り裂かれていた。