四月二十四日
午前零時三分
船橋駅前ファーストフード店にて

「それでは改めまして――」

神威が散々に呆れられ、『彼女』がそれに曖昧な微笑を浮かべてから十数分。
かなり最悪に近い形で邂逅を遂げた三人は、互いの誤解を解くために会談の一席を設ける事にしていた。
とは言え、自分たちが泊まっているホテルの一室に招待するほどには、銀誓館組は特に『彼女』と親交を深めたい訳でもない。
また『彼女』の方としても、初対面の人間にそんな唐突に距離を詰めてこられたって、警戒するか困惑するだけだろう。
しかし立ち話で済むような会話の内容になるとは思えないし、かと言って居酒屋に入ろうとするには三人揃って未成年である。
そんなこんなの折衷案として三人は、駅前ビルの中に在る二十四時間営業のファーストフード店に足を運ぶ事にしたのだった。
各々が注文したメニューを受け取り、一番奥まったボックス席に腰を下ろす。
ようやっとの事で緊張感から解放された様な気がした所で、『彼女』が仰々しく口を開いた。
無論、耳まで大きく裂けてなどいない、可愛らしい口をである。

「神明第二中学三年、草薙桜です。 以後よろしく」

草薙桜。
それが、口裂け女と間違われて能力者二名(+召還獣)に襲われた彼女の名前であるらしかった。
華奢な体躯、濡羽色の瞳、芯の強さが垣間見える声音、可愛く揺れるポニーテール。
一つ一つに驚くような美麗さこそないものの、それらが渾然となって形成されている『彼女』は、間違いなく一個の存在として魅力的な少女であった。

「私立銀誓館学園高等部二年、水里流だ。 先程は済まなかった」
「同じく銀誓館高等部二年、藤咲神威。 いつでも罪を贖う覚悟はできている」

桜の言葉を受け、両者共にぺこりと頭を下げながら、自己紹介と再びの謝罪を行う銀誓館組。
自分より年上の人間に頭を下げられている事がどうにもむずがゆいらしく、桜はしきりに「もういーってば」と繰り返していた。

「ところで、えーと……」
「あ、呼び捨てでいいです。 苗字でも名前でも好きなように」
「ああ、では草薙と呼ばせてもらう事にしよう。 草薙はその、能力者なんだよな」
「一応そうみたいですけど」
「どんなタイプの能力か、もし良ければ聞かせてもらえないか?」
「……」

流の申し出に、桜はしばし口を閉ざした。
熱々のチーズバーガーを豪快に貪りながら、神威は桜の態度を鋭く観察していた。
能力者にとって『自分の能力の本質を知られる』と云うのは、弱点を露呈する事とほぼ同義である。
少なくとも初対面の人間に対して、ほいほいと軽率に暴露して良い物ではない。
恐らくは流もそれを知っていて、わざと明け透けに訊ねてみたのだろう。
馬鹿正直に答えてくれれば、それでよし。
たとえ口を閉ざすようであっても、それはそれで相手がこちらをどう見ているかが判る。
何よりこの質問をする事によって、相手が『ただ能力を持っているだけの人間』なのか、それとも『能力を用いて血路を開く事に覚えのある人間』なのかが判るのであった。
そして恐らく、草薙桜は後者だろう。
戦場での邂逅から彼女を知った神威には、それを確信できるだけの判断材料があった。
自分の右拳をあっさりかわした反射神経。
次なる突撃にも瞬時に対応した反応速度。
事後の状況を最善にするべく仕組まれた、一連のアクションにおける状況判断力。
『一般人が何かの拍子に能力を手に入れました』では済まされないあの瞬間の出来事が、神威の脳裏にフラッシュバックした。
もしアレが完全なる敵意を持って現れたゴーストだったら、自分達はどうなっていただろう。
神威の脳内で、桜をゴーストに置き換えた戦闘シミュレーションが瞬時に展開された。
あの右拳が避けられた瞬間。
不意の突撃すらもが避けられたあの刹那。
もしも相手が殺意と武器とを同時に手にし、全てを睥睨する瞳を有していたならば――

「答えてもいいけど、私の質問にもちゃんと答えてね?」

妄想の中ですっかり『敵ゴースト』と同義になっていた桜の声に、神威の意識が急速に現実へと引き戻される。
ちゃちな造りをしたテーブルを挟んで、斜向かいに座っている彼女の表情には、砂糖一粒分の敵意すら含まれてはいなかった。
ついさっき勘違いで迷惑をかけた上に、この期に及んで脳内でまで敵扱いしてしまうとは何事かと、神威は自身の思考を大いに恥じた。
ほら、目の前に座っているのはこんなにも、無垢で無害な中学生ではないか。
どこもかしこも折れそうなくらい華奢な女の娘を捕まえて、俺は何をグダグダと――

「ねえ、口裂け女って、なにカナ?」

無垢で無害な中学生の一言に、場の雰囲気が凍った。

「お、お前何故それを――」
「神威っ!」

常に似合わない流の逼迫した声が、神威の言葉を中途で断ち切る。
何事かと数瞬だけ戸惑い、神威が口を遮られた事の意味を察知した瞬間には、もう既に遅かった。

「何故それを……、か」

続く言葉を補足するとすれば、「何故それを知っている」になる。
それはつまり、桜の口にした情報が、神威にとって真実であった事の証明になる。
加えて言えば、それは桜が知るはずのない情報であり、神威達が教える気のなかった情報だと云う事にもなる。
事実、思い返してみれば桜との邂逅から今現在に至るまで、銀誓館組は一度だって『口裂け女』と云う単語を口に出してはいなかった。
匂わせたのは唯一、神威が口走った「どうしてお前の口は裂けていないんだ」と云う一節だけである。
しかし草薙桜は、その一言のみを突破口として大胆不敵なカマをかけた。
此処を切り崩さなければ真実に到達する事ができないと、天性の嗅覚で急所を強襲してきた。
いや、それ以前の段階で『口裂け呼ばわり』した事に対して明確な否定をしていなかった事も、原因の一つだったのだろう。
結果として銀誓館組(主に神威)は最後の最後まで秘蔵としておきたかった情報を初っ端に引き出され、これより先に如何なる嘘も吐けない状況に追いやられてしまったのだった。

「あのさ、探り合いとか騙し合いとかヤメにしないですか? 私そーゆーの苦手だし、あんまり楽しくもないし。 ね」

騙し合いが苦手とは、よく言ったものだ。
思わず制止の声を上げてしまった自分の軽率さを呪いながら、流は重々しい気持ちでカフェ・オ・レを口に含んだ。
あの場面、自分がするべきだったのは、神威を止める事ではなかった。
逆に、神威の口から得られた情報に対し、草薙がどんな反応をするのかを冷静に分析しなくてはならなかったのだった。
私が神威に口止めするような態度を見せた事で、彼女はこの情報が真であり、そして秘されるべき物だったと確信しただろう。
更にその上で、重要な情報を隠そうとしていた私たちに対して、ある程度の不信感すら抱いただろう。
情報を失い、信用も失い、挙句弱みまで握られ。
そして間髪入れずにその弱みを大上段に掲げられ、公正なる情報の開示を求められる。
明らかなる失着が招いた最悪の状況に、流の気持ちは重くなっていく一方だった。

「あー、それとも私の能力から先に説明した方がいいです? そりゃ、信用してくれるかどうかは別問題だけど」

難しい顔を続ける流の顔を見て、自分の方から歩み寄る姿勢を見せる桜。
しかし流はその態度にすら謀りの一端を疑ってしまい、依然として警戒の色を薄める事ができないでいた。

そう、彼女がもし仮に馬鹿正直に自分の能力を説明したとしても、その情報が正確な物である保障など何処にもない。
それは桜の器を量る為に流が口にした質問に対する、神威が気付かなかった第三の答えだった。
『正直に言う』と『沈黙する』以外の選択肢。
流が最も危惧していた答え。
それが、『質問に対して何食わぬ顔で嘘を吐く』だった。
元より信頼関係の構築を望んでいないのであれば、いくらでも嘘を吐く事が可能である。
ゴースト退治に協力する気が欠片もなければ、能力を展開する機会に遭遇して嘘が露呈する訳でもない。
まして銀誓館組が先に情報の隠蔽を行おうとしていたとあっては、桜の言葉に対して証拠の提示を求められようはずもなかった。

つまり、このタイミングで自分の能力を口に出そうとしていると云う事は、相手に『無条件で信じろ』と云う強制力を付加させられる事となる。
嘘か本当かも判らない情報を一方的に信じさせられ、しかもそれを取り引きの材料とされて更に深層の情報を抉り出される。
自覚してやっているのだとしたら一級品の駆け引きだし、自覚していないのだとしたら尚更に恐ろしいと、流は目の前の中学生を見ながらそう思った。
やれやれ、見た目だけならこんなにも可愛らしいと云うのに。

「……判った。 今の私達が把握している限りの情報なら、全て偽りなく教えてやろう」
「ホントに?」
「おい流、そんな事をしたら――」
「判っている。 今からそれを説明する所だ」

そう言うと流は、周囲を憚るように声のトーンを低くし、桜の顔を真正面から見据えた。

「銀誓館に所属している能力者にとって、任務の内容を第三者に教える事は、退学レベルの規律違反だ。
 だからもし、草薙が今回の件に関してこれ以上の情報を求めると云うのであれば、私達と同等のリスクを背負ってもらう事になる」
「同等のリスク?」
「ああ」
「まさか流、今から銀誓館に入学してもらって、退学のリスクを背負ってもらおうと云うのか? それは少しばかり時間と手間がかかりすぎや――」
「神威。 いいからお前はナゲットでも食べていろ。 な?」
「むがが……」

冷めかけたナゲットを口に押し込まれ、強制的に口を噤まされる神威。
そんな二人の関係を見ながら、桜はうっすらとこう思った。
まるで犬とご主人様みたいだ。

「率直に言おう。 草薙に背負ってもらいたいリスクとはつまり、ゴースト討伐への積極的な協力だ」
「もががっ?」
「神威。 ポテトも食べろ。 な」
「もがー」

驚愕の表情で流に詰め寄ろうとした神威が、今度はポテトを押し込まれて再び沈黙させられる。
どうやら流の思惑通りに事を進めるためには、神威の発言は邪魔であるらしかった。

「一緒に戦えってこと?」
「草薙が協力者と云う立場をとってくれれば、情報漏洩が学園側に知れた場合のリスク軽減になる」
「でもそれ、私のメリットがないじゃん」
「偉そうに言えた事でもないのだが、実はこの任務はかなり難航している。 このまま時が推移すれば、新たな犠牲者が出る事も考えられるだろう」
「……人命救助のボランティアを断るなんて、人として不出来。 まして人を守るべき能力者が、未来の惨事を捨て置く訳がない。 そう言う事……ですか?」
「どう捉えてくれても構わない。 ただまあ、世間一般的な常識に照らし合わせれば、そう受け取られるのも致し方のない事だがな」

流の態度は、不自然なくらい横柄だった。
本来であれば協力をお願いしている立場のはずなのに、何故だかやたらと上から目線だった。
恐らくは何かの思惑があっての事なのだろうが、神威にはその思惑とやらが全く予想できなかった。
仲間に引き込みたいのか、突き放したいのか。
そもそも学園側にすら協力要請を拒んだくせに、何故今更になって能力不明で初対面の中学生を任務に引き込もうとしているのか。
そして自分は何の罪で、喉が詰まるまでポテトを頬張らなくてはならなかったのか。
九死に一生を得る思いでコーラを飲み干しながら、神威は全ての謎に首を傾げるばかりだった。