同日
午前十時
津田沼駅近く、雑踏にて

午前十時のチェックアウトでホテルを放り出された二人は、午前中を軽い聞き込み調査に費やした。
口裂け女に関する事ならどんな些細な事でも良いと始めた調査であったが、やはり決定的な情報などは得られなかった。
その代わりに二人に与えられたのは、どれもこれもが無価値に等しい伝聞形式の噂ばかり。
『ありがちな都市伝説』として過剰に脚色された口裂け女の姿は、むしろ情報を得る前よりも二人を混乱に陥れていた。
ビルからビルへ飛び移るだとか、四つ這いの方が移動が素早いだとか、挙句の果てには腕が10m以上も伸びるだなんて噂すら聞こえてくる始末。
外見的要素だけは自分たちの仕入れていた情報と相違なかった事だけが、収穫と言える聞き込み調査での唯一の収穫であった。

十二時を過ぎた時点で二人は、これ以上の聞き込みが無益であると判断。
神威は「昨日と同じ手段で網を張ろう」と主張したが、流はその提案に対して首を静かに横に振った。

「今日の夕方、草薙と落ち合う手筈になっているだろう? ひょっとしたら、その瞬間が今回の任務の分水嶺になるかもしれない」

要するに、余計な消耗はするなと言う事だった。
昨日の一件を例に挙げるまでも無く、異能者としての能力展開は心身共に非常な消耗を伴うものである。
決戦を目前とした状況である今、徒労に終わるやもしれぬ行動に力を注ぐくらいであれば、『その瞬間』に向けて力を溜めておく方が得策だと云うのが流の考えであった。
確かに昨日の会談の時点で、桜と流は『明日の午後四時に再び会おう』と云う約束を交わしていた。
しかしまさか流の方にこんな心算があっただなんて、あの時の神威は夢にも思っていなかった。
こんな心境で桜を待ち受けなくてはならないだなんて、例え冗談であっても思い付かない事柄であった。

「ん、そうだ」
「む?」

ややもすれば沈みがちになる神威の思考に、流の声と云う爽やかな風が吹き抜ける。
『何か良い事を思いつきました』と言わんばかりの軽快な声音は、ただそれだけで神威の心を平静に保つ手助けをしてくれていた。

「図書館へ行こう、神威。 確かこの近くには大学があったはずだ」
「大学の図書館?」
「義務教育の物とは違い、大学の図書館は一般にも公開されているものだ。 銀誓館の生徒手帳もあるし、身分証明には事欠かないだろう」
「いや、そうではなく。 公営の図書館では駄目なのか?」
「私たちが調べようとしているのは口裂け女だぞ? こう云った特殊な分野に関する蔵書にかけては、大学の図書館に勝るものはない」

言うが早いか、流はすたすたと大学があるらしき方角に向けて歩き出していた。
その背中を追いながら、神威は図書館で調べ物をするぐらいなら『王者の風』を手当たり次第に発動していた方が楽だったのではないかと危ぶみ始めていた。
結果としてその危惧は、現実の物となるのだった。