暑い、熱い、アツイ。
異常なほどの気温の中、退屈な授業は続く。
呪文のような先生の声。
汗で腕に張り付くルーズリーフ。
少し身動きをするだけで爆発的に上がる体感温度。
それら全てが煩わしくて、彼は開け放たれた窓からふと空を見上げた。
 
蒼い。
 
雲一つ無く青い空には、時には恵みを、時には死を齎す巨大な水素核重複融合熱反応無限連鎖球体、俗に言う太陽が憎らしげに光っていた。
何かこの俺に恨みでも有るのか?
彼はそう思った。
思っては見たものの、もともと思考回路を持ち合わせていない水素核重複融合熱反応無限連鎖球体はやはり小憎たらしいほどに光り続けていた。
ポプラの木がさやさやと吹く風に葉を揺らしていた。
鳶が悠々と弧を描いていた。
間違い無く夏の風景だった。
 

どくん
 

不意に体の奥で血が騒ぐ。
『それ』は遥か昔に淘汰されてしまった血。
穏やかな、平和な生活の中で腐れ途絶えてしまった本能。
疼く。
体の中に違う生き物がいるような錯覚を受ける。
押さえきれない。
限界が近い。
 
ぽんっ

後ろから肩を叩かれた。
振り向くと、そこには既に見なれた顔。
短い時間ながらも親友と呼べる程の付き合いを持った男の顔があった。
何かを言いたげに口を開く。
だが、その言葉を俺は言わせなかった。
言わなくても判っている。
何も言わなくても、その目が既に語っている。

『お前もだろう?』
 
問い掛ける瞳を投げかけると、『親友』は驚いたような顔をきっちり二秒間し、そして笑った。
にやりと笑った。
その表情は、『お前もか』と言う意味合いを含んだもの。
言葉少ない―――もっとも一言も要していないが―――俺達の意思疎通は終わった。
 
がたん!
 
席を立つ。
何の迷いも無く。
それが当然だと言わんばかりの勢いで。

がたん!

それに続いて頭のてっぺんにアンテナを携えた男も席を立つ。

何の衒いも無く。
そうするのが始めから決まっていたかのように悠然と。
 
驚いたのは数学教師、佐藤甚八(47)である。
 
「ど、どうしたんだ?」
 
もちろんその問いかけに答えは無い。
二人は黙って窓に向かって歩き出した。
相当に目つきが悪い。
息遣いも荒い。
何か自分はこの生徒達の気に触る事でも言ったのだろうか。

ひょっとして二次関数と言う言葉が気に食わなかったのか。
それとも複素数平面と言う言いまわしが?
 
この教師も大概熱さの所為で思考回路がショートしているようだ。
そんな佐藤甚八(47)を尻目に二人の生徒、相沢祐一と北川潤は完全開放されている窓からベランダに飛び出た。
ふわっと軽やかに制服のシャツをはためかせながら。
その表情は何処か虚ろで、何処か楽しげだった。

まさか自殺?

一瞬の間に教室の中に緊張が走る。
『暑さと受験勉強のストレスから高校三年生男子生徒二名が授業中に現実からの逃避行ダイブ』
そんな見出しが四十人近い生徒の脳裏に映し出された。
焦る。
とりわけ、彼等と非常に近しい関係にある二人の女子生徒は焦りまくった。
 
「くー……うにゅ?」
 
訂正、一人の女生徒は焦りまくった。
 
「ちょっと! 二人とも!」
 
焦って立ちあがろうとして、太ももを机にぶつけた。
痛い。
でも、今はそんな事を言っている場合じゃない。
何だか判らないけど、二人の目は本気と書いてマジだ。
 
「悪いな、美坂……もう我慢できないんだ」
「後は俺達の分まで頑張ってくれ」
「なに馬鹿な事言ってるのよ! 待ちなさい!」
「無理だ。 俺達は既に『ここ』にいて、目の前に『それ』を見ちまってるんだから」
「北川の言う通りだな。 そもそも理性なんかで止められるような衝動なら、既に止まっている」
「おう、止められないから本能なんだ」
「そんな事……そんな事絶対に許さないから!」
 
死ぬなんて。
ましてや自分から命を絶つなんて絶対に許さない。
生きたくたって死んでいく人だっているのに。
どんなに生きたいと願ったって死ぬ運命にある人だっているのに―――

美坂香里は走った。

途中でいくつもの机や椅子にぶつかってその度に行く手を阻まれながら。
それでも止まらずに走った。
 
 
 
目の前に迫った二人の背中。
 
後少しで手が届く。
 
もう少しで―――
 
 
 
「グッバイ」
「アデュー」

その言葉を残して二人はベランダの手すりを飛び越え
―――
 
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
  
教室の中の空気が凍りついた。
佐藤甚八も凍りついた。
 
 
 
美坂香里は唖然とした
 
 
 
 
 
 
 

ロープ。

四階のテラスの欄干からプールまで、長いロープが渡っていた。
そしてそれにぶら下がりながら颯爽と滑っていく馬鹿二人。
その手には滑車が握られていた。

なるほど、簡単な装置ね。
何処にでも手に入る滑車と簡単な溶接技術があれば可能ではある。
実際にやるかどうかは別だが。
そう言えば二人は最近近くの工業高校によく出入りしていた。
こんな事のためによくもまぁ・・・

そこまで冷静な分析をして、急激に頭にきた。
自分はこんな馬鹿二人のためにあんなに焦って、走って、足をぶつけて―――
思い出して少し足が痛くなった。
そしてその怒りをぶつけるべき当の馬鹿共は―――

「いやっほう!」
「ひゃっほう!」

ざっぱ―ん!!
 
気持ち良さそうな歓声と水の飛沫を残して、巨大な水溜りの中に飛び込んでいた。
テラスにはクラスの殆ど全員が集まり、彼等の成した所業をある者は羨ましそうに、またある者は呆れたような顔で見ていた。
下の階を見ると、二年生も一年生も何事かとテラスに集まっている。
授業なんて言うくだらないものを、忘却の彼方へと追いやって。
 
 

夏。
 
それはまさに間違い無く、夏真っ盛りの風景だった。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          B 
―――――― B.B.S ――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「この大馬鹿者!」
 
完全防音構造のはずの放送室から、廊下にまで響くほどの怒声が響いた。
どうやらこの学校でも放送室は説教部屋に使われているらしい。
 
この学校でも。
 
怒りの声が外部に洩れないと言う理由で、放送室はよく説教部屋に使われる事がある。
著しく用途を間違っているとは思うものの、壁としては防音の役目を果している事には変わりは無い。
ただ、やはり、放送室と言うのは悪ガキ共にとって最高の遊び場でしかないのだった。
 
「おお、俺達を馬鹿呼ばわりですぜ北川さん」
「うましかと書いて馬鹿ですってよ相沢さん」
「後は蝶が揃えば最高ですよ」
「いえいえ、アレは馬ではなくて猪ですよ」
「どっちでも良いわぁ!!」
 
また、響いた。
生徒指導教師の怒りのボルテージは着実に溜まり続けている。
 
「そもそもだなぁ、授業を抜け出すだけでも相当な問題行動だと言うのに、さらにロープを使ってプールまで滑り降りて行っただと!?」
「すごいだろう」
「凄くないわ!」
「誉めてくれ」
「誉めるかぁ!」
「なんだ、誉めてくれないのか」
「当たり前だ!」
 
そろそろ生徒指導の先生の血管が危ない。
ただでさえ暑いと言うのに、この二人を同時に説教しようなんて言うのは、はっきり言って自殺行為である。
 
「だってさぁ、あんなクソ暑い中で数学の授業だぜ? そりゃ抜け出したくもなるわなぁ、北川さん」
「まったくだ。 生きていく上で複素数平面など、数学など何の役にも立たん。 必要無い。 意味も無い。 下らない」
「貴様等……俺が数学教師だと言う事を判って言っているのか?」
「「当然っ」」
 
ハモった。
そして生徒指導がキレた。

「ふ、ふざけるのもいいかげんにしろぉっ!!!」
 
バシィ!!

音が、響いた。
教室、職員室、校庭、学食にまでも。
なるほど、確かに放送室の壁は防音設備である。
だが、放送室はあくまでも放送室。
その第一義は『放送』する事である。
したがって、この場において間違っている事は何一つとして無い。
そう、先ほどからのやり取りが全て放送室の機材によって全校に生中継されていたとしても、である。

始めの内は皆、そのやり取りを笑いながら傍聴していただけだった。
変わり映えの無い日常に、一撮みの―――ある時は山盛りの―――スパイス。
楽しみでありこそすれ、迷惑ではあまり無いと言うのが本音であった。
「あぁ、またやってるな」くらいの認識。
だが、今、放送室から響いてきた怒声と何らかの物体の衝突音。
状況から推測するに、祐一か北川のどちらかが殴られたのだろう。
 
殴った。
 
先生が。
 
生徒を。
 
これは許せない。
 
許してなるものか。
 
学校と言う特殊な環境において、教師は絶対的な権力を持つ。
だがその反面、その権力を過剰に行使する事は消して許される事ではなく、それを許した場合には指導と言う名の体罰が横行して子供は暴力に脅えながら心身の発達が云々。
とにかく気に食わない。
そう言えば奴は何時も何時も訝しげな顔で人を睨み、隙あらば説教を垂れようとしている奴だ。
うむ、気に食わない。
よし、暴れよう。

ドンドンドンドンドン!!!

すぐさま放送室のドアが叩かれる。
廊下からは恐らく生徒の声であろう、生徒指導教師への罵声が飛び交っている。
 
「てめぇ何てことしやがる」
「私の相沢先輩がー」
「潤さんに手ぇ出しやがったな固羅」
「体罰反対ぃ!」
 
驚き慌てふためく生徒指導教師。
静かに嘲笑を浮かべる祐一と北川。
誰がどう見ても勝者と敗者の姿だった。
 
「あーらら、何か凄い事になっちゃいましたね」
 
言いながら、マイクのスイッチを切る。
 
「相沢…いきなり机を叩いたと思えば…こう言う事か」
「さぁ? 俺はただ蚊が飛んでいたからそいつを退治したまでですが?」
「そうそう、何もやましい事をしていないんですから堂々と皆の前に出て状況を説明したらどうですか?」
「北川ぁ…」
「『俺は何もやってない、俺ははめられたんだ―――』ってか?」
「もっとも、そんな事を言った所で誤解が解けるとも思えないし、世論がどちらに味方するかは一目瞭然でしょうけどね」
「おのれっ!」
「まぁまぁ、落ち着いて。 まずは席に座ってくださいよ、先生」
「『また』、暴力をふるう気ですか?」
「くっ!」
 
立場、真逆。
放っておけば煙草でも吸い始めそうな態度の生徒二人と、今や犯罪者扱いされて小さくなってしまっている生徒指導教師。
廊下にいる一般生徒に見せてやりたい。
 
「公務員の失態が問題になっている昨今の風潮の中で……これはまずいですねぇ北川さん」
「ええ、始末書、減給、最悪の場合依願退職も……」
「いやいや、最悪の場合は懲戒免職でしょ」
「なっ!」
「うーん、生徒を殴って懲戒免職かー。 それは無いんじゃないか?」
「しかし有り得ないとも言いきれないな」
 
DAKA○Aの宣伝の真似。
やってる本人達は楽しげだが、やられている方は気が気ではない。
 
「たしか先生の所のお子さん、来年高校受験じゃなかったですか?」
「ああ、真柚(まゆ)ちゃんね。 そうそう、来年受験だわ」
「……」
「親父が懲戒免職で、退職金も無く職も無いのか…」
「しかも真柚ちゃんはその所為でいじめられたりするんだろうなぁ……可哀想に」
「……何が目的だ」
「え?」
「貴様等一体何が目的だ!」
「やだなぁ先生。 まるで俺達が恐喝や強請をしているかのような言い方を」
「そうそう、ただ俺達は夏休みを目前に控えたこの時期、少しでも成績評に良い評定がつけば良いなって思ってるくらいで」
「加えて言えば夏季課外とか言うくだらない物も免除して欲しいと考えているだけで」
「………善処しよう」
「え? 何か言いましたか?」
「すいませんねぇ、俺達耳が遠くて。 曖昧な言葉は聞き取れない仕様になっているんですよ」
 
とは祐一の弁。
いけしゃあしゃあととんでもない事を言う。
ここまで慇懃無礼な生徒も珍しいのではないだろうか。
だが、今この場において生徒指導教師が立場を覆せる切り札を持っているかと訊かれたら、答えは否。
従うしかないのだ。
それが今まで連綿と積み上げてきた教師としてのプライドを根底から叩き潰すような行為であったとしても。
 
「判った! 5でも何でもくれてやる! 夏季課外だってサボりを認める! だからこの状況をどうにかしてくれ!」
 
平身低頭。
プライドなんて銀河系の遥か彼方へと投げ去ったようだ。
 
「そうそう。 物分りの良い人は嫌いじゃないですよ」
「さ、頭を上げてくださいよ。 俺達は『仲間』じゃないですか」
 
祐一、肩にポンっと、手。
そしてオプションで輝く笑顔。
その笑顔はそれはもう素敵なくらいに爽やかで。
女子生徒に向けたら、それはもう大変な事になるくらいに無邪気で無垢で輝いていて。
 
生徒指導教師の怒りをさらに掻き立てていたとか。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 

ガチャ

放送室の扉が開いた。
中から出てくる二人の生徒と一人の教師。
仲良く笑い、肩を組んでいた。
旧知の間柄であるかのように、年齢の壁を越えて親しげだった。
 
「やっぱ漢ならジオン系のMSでしょー」
「おお、判ってるな相沢。 先生はあのモノアイが好きでなー」
「いやー、まさか先生が一つ目小僧フェチだったなんて」
「「んなアホなっ」」
 
呆気に取られたのは放送室の周りに集まっていた傍観者達。
あれ?
確かあの先生はあの先輩に説教をしていて感情が爆発して平手打ちをあれれ?
呆然としている生徒の群れを抜け、三人は歩いていった。
取り敢えずは誰も居なくなる所、進路資料室まで。
 
 
 
「ふぅ……寿命が縮まったわい」
 
額の汗を拭う生徒指導教師。
その言葉通り、確実に寿命が縮まっただろう。
三分間ぐらい。
長い人生の中で見れば大した事無いかのようにも思えるが、実はとんでもなく重要なのである。
もし彼の人生の終わりが、家族に見守られての最期だったとしたら。
もしその時、彼が自分の人生を締めくくるべく名言を残そうとしていたとしたら。
 
―――お前達………これから…ワシが言う事を……良く…聴いておけ
―――兄弟…従姉妹…夫婦…決して仲違いする…事…無く
―――何時…ま…でも…ナ……なッパっ!!
 
「………おじいちゃん……意味わかんねーよ」
「俺はお前の思考回路が判らないぞ、相沢」
「二人とも理解不能だわい……」
 
北川、困惑。
祐一、見尻に涙。
先生、全身に嫌な汗。
不思議に不気味な空気がその場を包み、三人とも暫くはその場を動けなかったとか。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 

―――で? 『その』アナタ達がなんでここに居るの?」
 
今を去る事三日前に、めでたく夏休み入りを果した学校の教室。
暑さ故に胸元のボタンをいつもよりも一つ分深く開けた姿が色っぽい香里が不機嫌そうに言った。
 
「おいおい、そんな邪険にする事も無いだろう? たまには真面目にもなるさ」
「相沢の言うとおりだ。 俺達だって受験生なんだぜ? いくらサボりを許されているからって、一回や二回課外に出たって何の不思議も無いだろう」
 
意外とまともな言葉が出る。
 
「五月蝿いわ」
 
美坂さん、不機嫌。
いくら学校一の才女とは言え、勉強が大好きな訳ではない。
授業よりは休日の方が好きだし、課外よりは夏休みの方が好きなのだ。
せっかくの、一生に一度しかない、高校三年生の夏。
誰だって遊びたい。
なのに遊べない。
四角い教室に押し込められ、それまでと同じように呪文を聴き続ける生活。
外ではぎんぎらぎんにさりげなく照りつける太陽が頭上に輝いてるのに。
茅ヶ崎にシンドバットが現れてシャイなハートにルージュの色が浮かんだりしているのに。
さらには波がジェットコースターだったり砂に書いた名前が波に消されたりさよなら湘南マイラブだったりするのに。
 
「とにかく邪魔。 そもそも真面目に課外を受ける気なんて無いんでしょ?」
「馬鹿を言うな! 俺達は心の底から課外を受けたいと思ってここに来たのだ! なぁ北川!」
「おう! 惰性で課外を受けているような一般人と一緒にしないでくれい! 将来を真剣に考えた結果として俺達は―――
「じゃあ何で水着姿なのよっ!」
 
美坂さん、爆発。
机がばしっと叩かれて、非道い仕打ちに耐え兼ねてぎしっと鳴いた。
 
「だっはっは、夏と言ったら水着だろう」
「ここは学校! そして教室よ!」
「香里、そんなに怒ると暑いだろう」
「ええ……おかげさまでとても」
 
額に怒りマークがうかんでいる。
やばい、そろそろ限界だ。
周りに居たクラスメイトがさりげなく距離を置いていた。
動物的本能として、彼等は正しい。
だが、その言葉を待ちかねていたかのように祐一がにやっと笑い、北川もくすっと笑った。
 
「何が可笑しいのよ」
「香里、課外は好きか?」
「嫌いよ」
「じゃあ夏は好きか?」
「……嫌いじゃないわ」
「なら、よし」
「なにが―――
 
言い終わる前に香里の体が浮いていた。
ひょいっと肩に担がれている。
北川の肩に。
 
「む、軽いな」
「ちょっ、降ろしなさい!」
「暴れると危ないぞ」
「な、な? にゃぁっ?」
 
テラス。
 
ロープ。
 
滑車。
 
「やめなさいおろしなさいごめんなさいこわいってばばかー!」
「あーもう暴れるなって香里。 降りるって言うかむしろ落ちるぞ」
「きゃー! きゃー! きゃー!」
「いっくぜー!」
「いやっほー!」

体が浮いて、風が吹き付けて、背中があったかくて、直後に水飛沫が上がった。

「………」
 
髪が頬に張り付いていた。
服と体の間に水が在る感覚。
空を見上げて、自分の状態を確認して、呆けている自分の姿を見ている二人の馬鹿の顔を見つけた。
 
「あ……」
「ありがとう?」
「愛してる?」
 
どっちも違う。
 
「危ないでしょバカ―――!」
 
美坂さん、絶叫。
 
「危なくないって。 余裕だよ、なぁ相沢」
「おう。 こう見えても北川の背筋力は180を越えてるんだぞ?」
「うむ。 美坂の一人や二人を担ぐなんて朝飯前だぜ」
「だからって―――もう! 私、制服のままよ?」
「夏だし、すぐ乾く」
「まだ課外だって残って―――
「香里」
「何よ」
「夏は、好きか?」
「………」
 
夏。
学校じゃない、教室じゃない、課外じゃない、勉強じゃない。
水、空、光、それと―――あと何か。
そんな何かが今ここに在って、自分が今そこに居て、だから私は―――

「嫌いじゃないわよ」

そう言った。
多分、笑っていた。

久しぶりに遊んだ気がした。
思いっきり叫んだ気がした。
教室で課外を受けている人達には悪いだろうけど、楽しかった。

「うん、やっぱりだ」
「ん?」
 
不意に北川が頷いた。
それも神妙な面持ちで。
すぐ後ろに居た香里が興味を示す。
その顔を見て、平然とした顔で
 
「相沢と遊んでてもなーんか足りない気がしてた」
「あれだけ楽しんでたのに?」
「おう。 例えるならサビ抜きの寿司かな。 足りないんだよ、何か一つ」
「で? 判ったの?」
「美坂の笑顔」
「…………え?」
「やっぱそれが無きゃな」
 
そう言って北川は深く息を吸い、潜水で祐一に近づき、気付かれて逆に沈められていた。
死にそうな顔で水面に顔を出し、息継ぎしている最中に後ろを取られ、ジャーマンスープレックスで投げ飛ばされていた。
 
「……ワサビねぇ」
 
自分は辛いのだろうか。
うん、さっきの教室での態度は少しきつかったかもしれない。
反省しようかな?

「「if we can not reaches  the summer ―――」」
 

歌が聞こえた。
相沢君と北川君の歌が。
その歌は遥か昔の歌。
10年前、いや、もっと前。
私達が生まれるよりも前の歌。
確か歴史に残るほどの観客動員数を記録したモンスターライブがアメリカで開催されたと聞いた。
そしてそのライブで歌われていたこの曲。
数十万人が声を一つにし、大地を揺るがし、汗を流して叫んだ曲。
確か題名は――――――
 
 
 
 
もしも夏が無かったならば
 
俺達は死んじまったほうがましだと思うだろう
 
町の名士も紳士淑女も大統領も
 
ガンコ親父も偏屈ババァも神父さんも
 
夏にはただの悪ガキに戻る
 
水に飛び込め
 
太陽を浴びろ
 
夜を突き抜けろ
 
そして大声で叫べ
 
太陽が俺達の味方だ
 
邪魔はさせない、出来もしない
 
これが俺達の生き方だ文句有るか
 
これが―――
 
 
 

――― BAD BOYS SONG」
 
なるほど、自分達の事をよく判っているようだ。
天下無敵の悪ガキ二人。
太陽という味方を手に入れた彼等を止められる物は最早何も無いだろう。
 
「ま、止めようとも思わないけどね」
 
美坂さん、諦める。
仰向けに水の上に漂い、眩しい光に目を細めた。
忘れてた訳じゃないんだけど―――再確認。
 
 
 

今は、夏だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「美坂」
「なーにー?」
「ブラとパンツ丸見え」
 
 
 

めきっ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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後書き
 
 
「BAD BOYS SONG」→「B.B.S」
そんな曲やライブがあったなんていう資料は何処にも存在しませんので、あしからず。