「祐一さん」
「まむ?」
 
肉まんを食べていたため、間の抜けた返事をしてしまった。
ソファー越しに後ろを向くと、いつもの笑顔で秋子さんが立っていた。
 
「今、ちょっと時間良いですか?」
「ええ、別に何の予定も無いですけど」
 
今日は土曜日、今は午後二時。
嗚呼、週休二日制万歳。
ちなみに名雪は課外とやらに出ているために不在だ。
まぁ、あんなのでも一応は受験生なのだからな。
いくら土曜日だからと言って、おいそれとは休めない身分なのだ。
可哀想に。
え? 俺?
俺はアレだ、その、何と言うか、天才だからな。
先生も舌を巻くほどの天才で、今すぐMITに行っても良いくらいの天才で、うるさいなサボりだよ文句あるか。
 
「お買い物に付き合ってくれないかしら」
「いいですよ。 俺で良ければ喜んで」
 
そう言ってふと自分の格好を見てみる。
外出するのに差し支えの無い格好ではあったが、秋子さんの横を歩くにしては少し釣り合わない。
 
「えっと……ちょっと待っててください。 着替えてきますから」
「別にそのままでも」
「せっかくのデートですからね。 少しは格好つけないと」
 
秋子さんの返事を待たずに二階へと上がる。
黒いデニムを履き、胸に十字架をあしらった黒のロンTを着る。
その上から白い半袖の前開きを羽織り、首筋に安物のシルバーアクセを。
アクセサリーの強い自己主張を嫌う俺は、大抵の場合はシャツの中に入れてしまう。
北川曰く 「それじゃ意味無いだろ」
俺もそう思う。
だが、意味の無い事だからこそ大切にしたい。
そう思った俺は、今日も例に倣ってアクセサリーを、鎖が首筋に見えるか見えないかの位置でシャツの中に入れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

        C ―――――― Cafe au Lait ――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………」
 
制服姿のまま、名雪はリビングにおいてある置手紙を見ていた。
こころなしかその表情は半笑い。
でも目が笑ってない。
すごく、恐い。
この場に誰もいないのが唯一の救いだったのかもしれない。
 
「……祐一…なかなか勇気ある行動だね……」
 
ただでさえ、休みのはずの今日という日にまで学校に行かなくてはならない事で不機嫌だったのに。
その上、祐一が何も言わずに課外をサボった事で名雪は怒っていたのに。
そこに、この置手紙。
火に油を注いで、ついでにガソリンもぶちまけて、隠し味にトリニトロトルエン―――俗に言うTNT爆薬―――を少々って所だろうか。
怒りの炎が名雪を包み、その矛先は手紙とけろぴーに向けられた。
人形に痛覚と言語能力があったらきっとこう言うだろう。
「人権侵害だ」、と。
もちろん彼、けろぴーは痛覚も持ってないし言語能力も無いし、おまけに人間でもないので人権も無い。
そして千々に千切られた手紙。
ゴミ箱の中にあるそれを頑張って復元すると、きっとこんな文章になるに違いない。
 

『大人の』デートをしてくるので、帰りは遅くなるかもしれません。
眠くなったら無理して起きてる必要も無いけど、戸締りだけはちゃんとして
――――――
 
 
これ以上は修復不可能だった。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 
 
誰もが振り向く女性が居るとしたら、多分それはこの女性(ひと)の事だと思う。
真琴は真琴で可愛いし、名雪も名雪で可愛いのだが、はっきり言ってレベルが違う。
淑やかに、秘めやかに、艶やかに。
その動作の一つ一つが洗練されていて、それでいてあまりにも自然体。
 
「? どうかしましたか?」
「いえっ、べ、別にっ」
「ふふっ。 『別に』って顔、してませんよ」
「あ、あは、あははは」
 
無意識の内に見つめていた。
なんとなく照れてそっぽを向いてしまう。
家主と居候と言う関係を完全に忘れている、忘れてしまう、それほどまでの魅力を秋子さんは持っていた。
うぐぅ。
どうにも主導権が握れない。
……握れるとも思ってないが。
 
俺が手短な準備を終えてリビングに降りたとき、あまりの衝撃に時が二秒ほど止まった。
初めて見る、秋子さんが髪を下ろしている姿。
横で小さく纏めた髪、後ろで併せて銀の髪留めを。
身体にフィットした黒い薄手のセーターが、スレンダーなボディーラインを強調。
丈の長いスカートの色も黒。
純白のシルクのケープを肩から掛けて、腕には二重に巻かれた極細のシルバーチェーン。
「これですか? 実はネックレスなんですけど……ちょっとおっきくて」、とはにかみながら言う姿で、完全に打ちぬかれた。
本来の用途を外れた形で、それでも本気で素敵だと思える使い回しを見せる秋子さんに。
 
で、今。
秋子さんと一緒に商店街を歩いている訳なのだが。
 
「秋子さん」
「はい?」
「妙に楽しげですね」
「そうですか?」
「ええ、それはもう」
 
すれ違う人がその笑顔に魅入られて思わず振り返ってしまうほどに。
 
「きっと楽しいからですよ」
「……買い物がですか?」
「今日の買い物はいつもの買い物とは違いますから」
「………違うんですか?」
「ええ、違いますよ」
 
違うらしい。
が、『いつもの』買い物の様子などは知らないので、頷くしかない。
ほうそうなんですか、と。
そしたらまた、秋子さんは楽しそうに微笑んだ。
そうなんですよ、と。
 
 

確かにその日の買い物はいつもとは違っていた。
いや、いつもと言うのは俺が買い物に付き合った場合の事であって、即ちお米を買うか買わないかだけの事なのだが。
つまり今日は買わなかった。
まだ買い物は現在進行形なので、正確には判らないのだが。
 
「今日はお米は買わないんですか?」
「ええ、まだ残ってますから」
「そうですか」
「そんなにお米が買いたかったですか?」
 
遠慮しておきます。
 
「えっと、そんなに……」
「はい?」
「いえ。 私が祐一さんを買い物につきあわせる時って、そんなにお米買ってましたか?」
「ええ」
 
山のように、とは言えなかった。
実際、重いのも疲れるのも嫌いだ。
だが、その重いのや疲れる物を担いでいる時に、妙に自分が秋子さんの役に立っていると言う気にもなれる。
頼りにされているのかと思うと、妙にやる気が出て来たりもする。
それだって俺の一人よがりかもしれないが。
そんな感情を抜きにしても、一人の男として――――――
 
「でも、お米を買うときは俺を呼んでくださいね。 何袋でも持ちますから」
「? えと、はい」
 
この素敵な女性にあんな重い物を持たせたくない。
そして、やっぱり自分が頼られているのだと自惚れていたい。
それだけの事だった。
 
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 
 
 
『百花屋』
 
商店街の東よりに位置する場所に在る喫茶店。
軽食も扱っており、昼時はOLさんなども利用する。
4〜6時の間の客層は主に学生となっていて、中でも女子生徒の利用率が高い。
 
「祐一さんは何にします?」
「えーと、コーヒーで」
「何も食べないんですか?」
「甘いのは苦手ですし……この時間にあまり食べると夕食が食べられなくなっちゃいますから」
 
もちろん、秋子さんの手料理(いつも通りだが)が。
 
「そうですね、じゃあ私も飲み物だけにしておきます」
 
ぱたん、とメニューが閉じられる。
それと入れ替わるようにしてウエイトレスさんがやってきた。
 
「コーヒーを」
「私はカフェ・オ・レをお願いします」
「はい」
 
無駄に萌え度の高いメイド服を着用したウエイトレスが去っていく。
質問したい、それは店長の趣味か?
 
 
 
俺と秋子さんのお買い物一行は、何も買わないまま、ここへ来た。
やはり、いつもの買い物とは違っていた。
可愛い小物が並ぶ店を覗いてみたり、ショーウインドウに並ぶ服などを眺めたり。
CDショップでお互いの好きな歌手の曲を視聴しあったりしていた。
あまりにも自然で、それでいてすごく楽しかった。
不思議なくらい安らぐ気分と、妙なドキドキ。
不意に目が合ったりすると、やっぱり恥ずかしくなって逸らしてしまったりもした。
ってかこれって世間一般で言うところによる―――
 
――デートみたいでしたね」
「え、いや、その、へ?」
 
考えていた事と寸分違わぬ事を言い当てられた。
思わず取り乱す。
 
「ごめんなさいね、私の個人的な買い物に付き合わせちゃったりして」
「いえとんでもない、楽しかったですよ」
 
本当に。
 
「でも、私となんかデートって言われても困っちゃうかしら」
「そんな事ないですよ。 秋子さんとデートなんて至極光栄です」
 
これも、本当に。
 
「うふふ、そんな事言っても何も出ませんよ?」
「こうやって一緒にお茶飲んでることだけで十分ですよ」
「あ、でも……」
「はい?」
「名雪が知ったら何て言うかしらね」
「…………」
 
考えるのは止めておきたい。
大丈夫、ボケボケな名雪の事だし、買い物だって言えば無条件に納得するに違いない。
うん、そうだ。
名雪が気付くはずが―――
 
「実は家に残してきた書置きに書いちゃったんです」
「………何て?」
「『祐一さんとデートしてきます』って」
「………へ?」
「しかも『大人の』って付け加えて」
 
………ちょっとストップじゃすとあもーめんと。
俺と? 秋子さんが? デート? しかも大人の?
 
「怒るかしら」
「恐らく烈火の如く」
「あらあら」
「………確信犯ですね?」
「だってわ「おまたせしましたー」
 
秋子さんの声を遮ってメイドウエイトレスがやって来た。
 
「コーヒーと…カフェ・オ・レです。 どうぞごゆっくり」
 
言われなくても。
そんな突込みを心の中で入れつつ、とりあえず落ち着くためにコーヒーを一口飲んだ。
苦かった。
 
それからしばらくの間、俺達は取り留めのない話に花を咲かせた。
名雪の進路や俺の進路。
隠れている俺のシルバーアクセとか、秋子さんの髪型とか。
話そうと思えばいつでも話せたことを、何故か今じゃなきゃ話せなくて。
そして今じゃなきゃ話せないような気がして。
放課後の教室のように、俺達は楽しく話を続けた。
 
「カフェ・オ・レってですね……」
「んぐ?」
 
不意に秋子さんが、少し真面目な顔で話し始める。
 
「恋する女性の飲み物なんですよ」
「……そうなんですか?」
「ええ」
「何でまた」
「ミルクを入れたコーヒーの、そんな仄かな甘さですらも十分だと思えるほどの甘い気持ちで胸がいっぱいだから」
「それならブラックでも」
 
ふるふる、と首を横に振る。
流れる髪が綺麗だった。
 
「ミルクは私、コーヒーはあなた」
「………」
「くるくる回って溶け合って。 苦くて甘い素敵な飲み物になれたら良いなって」
「なるほど」
「だからね? 好きな人の前以外では頼まないんですよ、カフェ・オ・レは」
「なるほ………ど?」
 
弾かれた様に秋子さんを見ると、少し頬を赤らめながら、私の場合はですけどね、と言った。
 
「す……き?」
「ええ」
「俺を?」
「はい」
「秋子さんが?」
「はい」
「………」
「えっと……そろそろ帰りましょうか」
 
伝票を持ってすっと立ちあがる秋子さんに釣られる形で俺も立ちあがる。
その横顔はまったくいつも通りで。
いつも通り綺麗で可愛くて。
さっきの発言は無かったかのように、ただただ自然だった。
カップの中に残ったコーヒーが揺れていた。
俺の心を移すかのように。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 
 
鬼が居た。
家の中に。
素敵なまでに優しい微笑みと、感情と言うモノを一切持ち合わせていない氷点下の瞳。
床に転がっているけろぴーが心なしかいつもよりも悲しそうな顔をしているのが印象的だった。
 
「被告人相沢祐一、起立してください」
「……あのな、名雪……」
「発言は許可を得てからにして下さい」
「……発言権を要求します」
「却下します」
「………」
 
非道い裁判もあったもんだ
せめて国選でも良いから弁護人を付けてくれ。
「名雪、その辺で勘弁してあげなさい」
「…ってか全ての元凶は秋子さんじゃないですか」
「あら? そうでしたっけ?」
「買い物に行くってだけの事をわざわざ誤解を与えるような書き方するから……」
「ちょっとした悪戯ですよ」
「うー、お母さんの悪戯は笑えないよ」
 
悪戯……か。
百花屋でのアレも悪戯の中の一つなのか?
 
「違いますよ」
「え、あ、ぅえ?」
「ふふ、判りやすいですね祐一さんは」
「何? 何が違うの?」
「えと、あの、その」
 
秋子さんに告白されたなんて言えるか。
 
「ポケモンのモンとドラえもんのモンは違うって言う話だ」
「ふーん、そうなんだ」
 
神様、名雪を天然ボケにしてくれてありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 
夕食後、部屋のベッドに寝転んで考える。
これからどうしよっかな……
実際のところ秋子さんが俺に好意を持ってくれているのはすごく嬉しい。
嬉しいなんてもんじゃない。
強いて言うなら秋ちゃん最高っ☆ミって感じだ。
いやいや、そうじゃねぇだろ。
ってか俺は何でこんなに悩んでいる?
俺の本心は間違い無く「嬉しい」だし、拒む理由なんてどこにも無い。
……いや、あった。
名雪。
名雪も俺に好意を寄せてくれているんだ。
それも過剰なまでに。
ずっとその想いに応えないで来たのは何故だろう……
嫌いじゃない。
でもそう言う「好き」じゃない。
じゃあ俺がそう言う「好き」を持っている人は……
 
たっぷり小一時間ほど考えて、答えを出して、俺は部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 
 
 
 
はぁ……
やっぱり少し軽率だったかしら……
でも、やっぱりあのタイミングしかなかった。
自分の気持ちに気付いてから、それでもずっと押し留めてきた。
ポーカーフェイスは昔から得意だったから。
でも、祐一さんの何気ない動作の一つ一つに心惹かれていく自分を、やっぱり隠してはおけなかった。
それで今日。
ついに言ってしまった。
予想通り固まっていた。
そして……どう思っただろうか。
嬉しい? それとも困る? 
あの表情からはどちらも読み取れなかった。
ただ、驚いた顔をしていた。
恐い。
もし拒絶されたら。
もし今までの距離が、日常が壊れてしまったら。
でも……言わなきゃ破裂してしまいそうだった。
これ以上溜めておく事なんて出来なかった。
言って良かったとは言いきれないけど……
どっちつかずの状況はもう終わり。
どっちだろ……
うー、うー。
名雪みたいに唸ってみたりして。
状況は何も好転しないけど、もう一回唸っておこう。
うー、うー、う
 
「秋子さん?」
「うっ?」
「……マンボですか?」
「え、えっと、その……」
 
顔を真っ赤にして照れている。
そんな表情も可愛い。
 
「えと、何か用ですか?」
「ええ、寝る前にちょっと何か飲みたくなって」
「コーヒーですか?」
「いえ、今日は……」
「今日は?」
 
深く息を吐き、気持ちを落ち着けて、それからまっすぐに秋子さんの顔を見ながら………
 
 
 
 
 
 
 
「ちょっと濃い目のCafe au Laitを―――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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後書き
 
カフェオレが恋する乙女の飲み物だなんて、そんな話は聴いた事がありません。