『まだだ……まだ終わらんよ!』
「ちっ! お前はストVのラスボスか!」
 
残りHPが200しか残っていない相手に、ダメージが1,300,000を越える砲撃を御見舞いしてやった。
なのに、生きてる。
そんな馬鹿な。
この俺が特殊改造した戦術核の至近距離射撃が効かないだと?
 
『この空間はあらゆる衝撃を無効化できるのだよ』
「なにを!?」
『所詮物理的衝撃と言うのは物体に与えられた振動にしか過ぎない。 ならばその振動とまったく逆波長の振動を与えて無効化すれば良いだけの事だ』
「阿呆! 物理的衝撃云々をどんな化学力なら即座に対処できるって言うんだ! 衝撃が伝わる速度は二重の極みを会得してなきゃ把握できないんだぞ!」
『理解できんとはな。 これだから重力に魂を縛られた者は』
「喧しい! 俺は宇宙生まれの宇宙育ち! 根っからのスペースノイドだ!」
「嘘をつかないで下さい兄さん」
「シャラップシャラップサランラップ! こんなふざけた理論で納得できるか!」
「サランラップは関係無いでしょう」
「ぐあー!! 負けたー!!」
「ご愁傷様」
「お前がごちゃごちゃ言うから……ってアレ?」
「何か?」
「あ……あ?」
「発音練習ですか?」
「……あやめ?」
「はい」
「何で?」
「それはこれから説明します。 その前に………」
 
そこまで言うと、あやめは小さく深呼吸をした。
そして、何やら確固たる決意を込めた目で俺を見て。
 
「久し振りっ。 兄さんっ」
「のぉっ!?」
 
抱き着かれた。
しまった、この俺とした事が回避しそこなったのか!?
……どうやら思考がまだゲームの中のようだった。
 
「固羅! 抱き着くな! 五秒以内に離せ!」
「それは五秒間なら抱き着いていても構わないって事ですね?」
「ぐむ……」
 
言い訳の余地を残す発言をするとは、俺もやきが回った。
 
「祐一? どうし……た…の・か・な?」
 
怖い。
頼むから笑うんなら心から笑ってくれ。
目だけ怒ってるとかそう言う特殊技能を使わないでくれよマイ・カズン。
 
「落ち着け名雪。 話せば判るって云う言葉を知ってるか?」
「それを言った犬養毅は死刑になったってのも知ってる?」
 
知っているが、思い出したくは無かった。
こうなった以上、俺が取るべき手段は一つしかない。
 
「ご、ごめんなさい」
 
謝った。
ウルサイ、情け無くなんかない。
 
「? 何で兄さんが謝るんですか?」
「いろいろ言いたい事はあるけど、取り敢えず。 あなた誰?」
 
冷静に話す名雪も怖い。
だからと言って激情に駆られても困る。
ああ神よ、あなたは何と言う試練を私にお与えになったのだ死んでしまえコンチクショウ。
 
「私は相沢あやめ。 言うまでも無く相沢祐一の妹です」
「妹? 祐一に妹なんて居ないはずだけど?」
「えぇ、養女ですから」
 
あのさ、そう言う事は普通もう少し重く扱う話題じゃないのか?
それから名雪、俺が養女縁組を決めた訳じゃないからそんな射殺すような目付きをしないでくれ。
 
「で、何で兄さんが謝る必要があるんですか?」
「あ、あのな……」
「判らないの? 判らないならそう言う行為は慎んだ方が良いんじゃないかな、『妹』さん」
「ええ、判りませんね。 『ただの従姉妹』であるあなたが兄さんの行動に目くじらを立てる理由も、意味も」
「まずは落ち着こう。 うん、落ち着こうな二人とも」
「「少し黙ってて」」
「ゴメンナサイ」
 
何やら泣きたくなった。
 
「そっか、『妹』だもんね。 『兄妹』でのスキンシップぐらいとっても問題無いか」
 
やたら『妹』とか『兄妹』とかを強調して話す名雪が恐い。
表情の変わらない笑顔は、能面の翁みたいで凄く恐い。
これ、下手なホラー映画よりも高確率で死ねるぜ。
 
「そう思う事で自分を納得させたいのなら、ご自由にどうぞ? 『ただの従姉妹』のあなたにはきっと一生懸かっても出来ないでしょうし」
 
どうしてそんなに好戦的なんだマイシスター。
いや、くすくす笑う顔は確かに可愛いんだけどさ。
だからと言って背後に渦巻く不可視のオーラを感じれないほど俺は鈍感じゃない。
できれば感じたくなかったが。
 
「ふふっ、どう足掻いても一線を越える事が出来ない妹さんはそうするしかないもんね」
「あら、何か勘違いしてませんか? 私はその気になれば法的にも倫理的にも何の問題も無く兄さんの子供を産む事だって出来るんですよ?」
「お生憎様。 それは私にも言えることだよ」
「ええ。 だけどあなたは兄さんに無邪気に抱き着く事なんか出来やしない。
 何故って、それは従姉妹だから。
 拒絶されたらその瞬間からあなたの居場所はこの世から完全に消滅してしまうから。
 それが恐いあなたは兄さんに抱き着く事が出来ない。
 感情を率直に行動に表す事が出来ない。
 それが私とあなたの違い。
 そして、それが勝敗の明確な線
 勿論、敗者はあなたですよ?」
 
我が妹ながらとんでもない理論を構築しやがる。
あ、名雪の血管がぴくぴくしてる。
ヤバイ。
マジでKIREちゃう5秒前だ。
 
「東部戦線異常有り。 やむをえん、撤退するっ」
 
ぼそっと呟き、なるべく物音を立てない様にそーっとリビングから逃げ去ろうとした。
当然、逃げられなかった。
 
「ううぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
「ばっ! いたっ! ごめんごめんごめん!! 何だか知らないけど俺が悪かった!」
「ちょっ! 兄さんになんて事するんですか!」
 
敬愛する猫の形態模写をして、形容しがたい怒りと共に俺に襲い掛かる名雪。
その剣幕と目にうっすら滲む涙に気圧されて、名雪を受け止め切れずに床に倒れこんだ俺。
ぽかすかと俺を殴る名雪(って言うか俺の上に名雪が乗っかってるのが問題だったと後にあやめが語った)を見て、それを引き剥がそうとするあやめ。
痴情の縺れが刃傷沙汰で、三角関係が不倫を失楽園にご招待している状況だった。
 
どんな状況だそれは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
M ―――――― モラルハザード上等、な感じで ――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「相沢あやめです。 今日から一ヶ月、この家にご厄介になります。 不束者ですが、よろしくお願いします」
「却下」
「………」
「………」
「………」
 
水瀬家リビングには厳冬期のシベリアよりも厳しいブリザードが吹き荒れていた。
今は家族会議の真っ最中。
参加者は水瀬名雪、水瀬秋子、相沢祐一、相沢あやめ、沢渡真琴の合計五名。
議題は、『夏休みに入ってヒマになった相沢あやめを水瀬家に駐留させる事の是非』
一見至極マトモに見えたこの家族会議だが、その実情は開いてびっくり玉手箱だった。
 
「あー、名雪?」
「何」
「……何でも無い」
 
恐い。
名雪が恐いよう。
秋子さん、ヘルプ。
 
「あの……名雪?」
「何」
「………え、えっと」
 
あー、秋子さん?
困った様におろおろしながら俺を見ないで下さい、萌えますから。
 
と、まぁ一事が万事こんな様子なのだ。
民主主義国家において、完全にここだけは治外法権で自分の独裁政権下に在ると言わんばかりの威厳を誇る名雪。
普段のおっとりした様子からは微塵も予想できない事態だけに、俺はおろか【最終兵器お母さん】の異名を獲る秋子さんまでもが沈黙を余儀なくされていた。
絶対だと信じていた秋子さん神話が崩壊した瞬間に立ち会えた俺は、幸福なのだろうか不幸なのだろうか。
多分恐らく絶対に不幸なのだとは思うが。
 
「プライベート云々とか食費だとか部屋数だとか、取って付けたような言い訳は面倒臭いからしないよ」
 
十分それも直だと思うぞ、名雪。
いえ、ナンデモアリマセン。
なぁ、頼むから思考の先読みをしてこっちを睨むのはよしてくれないか?
お決まりの『思ってた事を口に出してたよ』は今回に限り絶対にしていないからな。
 
「あなたが家に住むことによって祐一の純潔が奪われるのがイヤ。 以上、説明終わり。 出てって」
 
有無を言わさず、結論のみを叩きつける。
名うてのネゴシエーターも真っ青な談判方法だった。
その矢面に立たされているあやめはさぞかし困って……困って……
何てことだジーザス、笑ってやがる。
 
「家に住まなくたって、兄さんの初めてはいつでも奪えるんですよ?」
 
初めてって言うな。
初めては中三の時、俺の部屋で真琴姉さんとプロレスごっこしてたら良い感じになって(以下削除
こんな事、恐いから言えないけど。
 
「私が兄さんを誘う時に使う一般的な呼称は『お散歩』。
 でもその実情は『デート』。
 呼び名と中身が違う事があるって事くらい、高校生なんだから判ってますよね、名雪さん。
 あー、むしろ私がこの家に住んでいない方が兄さんを外に誘い出しやすいんでしょうね、きっと。
 遠くから兄さんに会う為だけにやって来た妹の誘いを断るなんて兄さんにはできっこないですから。
 お家では周りの声を気にして出来ないあーんな事やこーんな事だって、二人っきりなら出来ちゃいますしね。
 そして、家じゃない所でそんな事になったら名雪さん、あなたが私達を止める方法なんて何処にも無いんですよ?」
 
首をついっと傾けてころころと笑うあやめ。
余裕が滲み出てるけど、その目は今だ鋭い光りを失わないままに名雪と睨み合っていた。
間には確かに青白い火花が見える。
何てことだ、俺にもオーラと言うものが見えるとはな。
えーと、それと秋子さん?
困ったような顔であたふたしながら俺の顔を見詰めないで下さい、萌えますから。
 
「ふふっ、ねえあやめちゃん。
 公序良俗って言う言葉、知ってるかな?
 デート、ううんお散歩くらいなら私も目くじら立てないけど、あーんな事やこーんな事って何処でする気?
 家じゃない所でお布団が有る所って言ったら当然ホテルだよね、ラ・ブ・ホ・テ・ル」
 もっとも、それがこの街の何処にあるかなんてあなたは知らないだろうけど。
 もちろん祐一も、知らないはずだけど」
 
いや知ってるんだなコレが。
二ヶ月くらい前にバイトに行く時に商店街で逆ナンしてきた女子大生のお姉さんとしっぽり(以下削除
もちろん、死んでも言えないけど。
 
「うん、でも問題はそこじゃない。
 場所なんて探せば良いだけの事だもん。
 でもね?
 あなたみたいな貧乳でお尻もぺったんこでロリ声で、頭の上からつま先まで中学生丸出しの女の娘をホテル側が簡単に通してくれると思ってるの?
 風俗店営業法及び青少年保護条例違反で捕まる危険性を侵してまで?
 私がフロントなら門前払いだね。
 お子様はおとなしくお家でお医者さんごっこでもしてなさいって感じかな?」
 
名雪、勝ち誇ったかのような笑み。
久し振りだな、名雪が捲し立てるように喋るのを見たの。
まぁ確かにあやめの見た目はロリだからなぁ。
スレンダーって言うかむしろ貧相?
いえ、ゴメンナサイ。
あやめもさー、俺の思考を先読みして睨むのは止めてくれないかな。
まったくもって役に立たない神に誓って一言も発してないぞ、俺は。
 
「可愛いなぁ、名雪さん。
 ラブホの事なんか何にも知らないくせに、偉そうに語っちゃって。
 耳年増だってのがバレバレですよ?
 いい?
 知らない様だから教えてあげる。
 ラブホテルなんて、入る時に部屋を選んで鍵を受け取って、帰る時にフロントに返すだけで良いんですよ?
 当然、パチンコの換金する所みたいな感じで客の顔なんて一切見ない仕様になってるの。
 だって顔なんか見たってお互い気まずいだけじゃない。
 判るかな?
 大人の世界にはね、暗黙の了解って言うものがあるんですよ?
 それとね、もう一つ、良い事教えてあげましょうか。
 最近のラブホテルには『学割り』もちゃーんとあるんです。
 ホテルを選ぶ時の参考にすると良いですよ?
 もっとも、その時は兄さん以外の誰かと入る事になるんでしょうけどね」
 
あー、名雪。
残念だが、お前じゃあやめに勝てない。
それに元々、お前は争い事に向いてない性格だろ。
 
「あのさ、祐一」
「ん?」
「真琴、この場に居る意味あるのかな」
 
完全に話に入れずに居る真琴の顔には、明確に『ヒマです』と書いてあった。
しかも明朝体で。
 
「家族会議だからな。 お前には参加する権利があると共に、参加する義務がある」
「その場に居るだけで参加している事になる会議なんて、国会並に無意味だと思う」
「そう言うな。 お前が居ないと人数が奇数にならないんだ」
「……多数決?」
「ご名答」
「あの状態の名雪に逆らうのって、結構な勇気が必要だよね」
「同感だ。 ………ん?」
「どしたの?」
「名雪に逆らう?」
「あの娘を家に住まわせる事に賛成するってのは、いこーる名雪に逆らうって事になるじゃない」
「お前は賛成してくれるのか?」
「反対するとでも思ってた?」
「かなり」
「ま、そりゃ祐一の初めてがあの娘に奪われるのは当然阻止するけどさ。 やっぱり『家族』は一緒に居るべきじゃないかな」
「……ありがとな。 後で肉まんおごってやる」
「三つね」
「はいはい」
 
ともすれば根回しとも思える会談を終え、真琴は自分の席に戻っていった。
さて……
やっぱり最後のこういう役目は俺に回って来るんだよなぁ……
これから先、少なくともあやめが居る間中は名雪から俺に向けられるだろう怨嗟の視線を明確に予感しながらも、俺はすっくと立ちあがった。
 
「多数決を取る。 異議は認めない」
「祐一、五月蝿い」
「異議は認めない」
 
視線を合わせたら負けだ。
石になる。
頑張れ俺。
右斜め上方45°を向いたままで話を進めるんだ、俺。
 
「あー……えーと……」
 
決して相手に気付かれぬよう、じりじりと立ち位置を玄関へと近付ける。
俺の脚力を最大解放すれば、いくら名雪とて200メートル以内なら俺に追いつく事は不可能だろう。
俺と名雪の立ち位置、ダッシュのタイミング、決意の在り方、ドアを開けるタイムロス。
全てを綿密に計算し、いけると判断した俺はゆっくりと口を開いた。
 
「相沢あやめが夏休みの間この家に駐留する事に賛成の方挙手をっ! いちにーさんよん圧倒的多数を持ちまして本案を議決しますではごきげんようさようならっ!」
 
言うが早いか、俺は神速でリビングを後にした。
靴なんて履いているヒマは無い。
半ば蹴り破る様にして玄関のドアを開け、門をくぐり、脚部バーニア全開で爆走した。
 
「ゆーうーいーちー!」
 
来たっ!
怒ってる怒ってる絶対怒ってる!
背中から明確に感じる殺気。
振り向いたら死ぬし立ち止まっても死ぬしこのまま走り続けても死ぬ。
瞬発力は兎も角、持久力勝負になったら負けは必至だ。
 
「くっ!」
 
推進バーニア出力をカーブ直前で零にし、慣性のみで0.3秒前身。
その間に身体の向きを今までの進行方向とキッチリ90度の角度に曲げ、壁によって灰色一面だった視界が開けた瞬間に再び脚部バーニアを完全開放。
ブレーキングドリフトの要領でタバコ屋の角をほぼ直角に曲がり、また爆裂ダッシュ。
素足のおかげで靴以上にグリップが効いたのは、予想外のハッピーアクシデントだった。
いや、凄く足の裏が痛いんだけれども。
 
「そっちは行き止まりだよー! 観念してお縄につくんだよー!」
 
声の遠さから察するに、俺と名雪の距離はタイムにして2.43ってとこか。
等と考えている間にも、その距離はぐんぐん迫ってきている事だろう。
少しでも速度を落とせばアウトだ。
ここが正念場だぜ、相沢祐一!
 
見えた!
前方に展開する高さ3メートル弱の壁。
その下には『三丁目ゴミステーション』の立て看板と、蒼いポリバケツ。
今日が燃えないゴミの日だってのは計算づくだ!
 
「でえぃっ!」
 
全速前進のまま背部バーニアを微力噴射して、飛ぶと言うよりも跳ねると言った感覚に近い動きを体現する。
宙に踏み出された一歩は、確実にポリバケツの上に乗っかった。
 
勢いは絶対に殺さない。
前傾姿勢を保ったまま、一気にバーニアを上方に向けて全力噴射。
反動制御の為に蹴り飛ばされたポリバケツが吹っ飛んだ。
だが、飛んでしまえばもうポリバケツには用は無い。
俺の身体は既に、次に来るべき衝撃に備えて姿勢制御の段階に入っていた。
ここで一旦バーニアとスラスターの噴射を止め、重力と慣性に身を任せる。
その二つがちょうど釣り合い、言わば空中静止状態になった瞬間、俺の足は壁を捉えていた。
 
「行けるっ!」
 
刹那。
全ての推進系機動部位の出力を限界まで高め、一気に三角飛びの要領で壁を飛び越えた。
飛びすぎて向こう側に落ちそうになるのをどうにか堪え、高々と聳え立つ壁の上から名雪を見おろす。
何て言うか、唖然としてた。
ふっ、怒れる名雪すらをも唖然とさせる俺の機動性、思い知ったか。
にゅー相沢は伊達じゃないのだよ!
 
「じゃ、俺はちょっと出かけてくる。 夕飯までには戻るから」
「………」
「名雪?」
「……ぐすっ……ひぅっ……っふっく」
 
泣いていた。
それもマジ泣きだった。
メチャクチャな罪悪感が俺を襲う。
 
「な、名雪?」
「だって…だって……あの娘が家に来たら…ゆ、祐一が……あの娘に取られちゃうような気がしたんだもん……」
「え、えーとだなぁ」
「意地悪したくて言ったんじゃないんだもん……あの娘が嫌いで言ったんじゃないんだもん……」
 
ぐしぐしと泣きじゃくる名雪。
高い壁の上から見ている所為だろうか、その姿はとても小さく見えた。
まるで、七年前のあの頃の様に。
 
「嘘ですね」
「「っ!?」」
 
情にほだされ壁から飛び降り様としていた俺も、袖で涙を拭いていた名雪も、まったくその気配に気付けなかった。
ローファーをぺたぺたと鳴らしながら、悠々と歩いてくる我が妹。
こうして見ると、名雪よりも更に小さくて細い事が判った。
当たり前だが。
 
「兄さんが私に取られるかもと言った危機感を感じた事も、意地悪をしたくて言ったんじゃないと言う事も事実でしょうが、最後のは頂けませんね」
 
そう言いながら、あやめは俺に蹴り倒されたポリバケツを直し、その上に乗っかって大きく背伸びをした。
 
「兄さん、手」
「あ、お、おう」
 
何となく、言われるがままにその手を引っ張り上げる。
その為に身体を乗り出しすぎて落ちそうになったのは秘密だ。
「よいしょっ」と小さく声を出して、あやめも俺と同じく壁の上に立つ。
どうでも良いが、下から見たらパンツ丸見えだぞお前。
いや、そうじゃなくて。
 
「あー、あやめ?」
「少なくとも、私は貴方が嫌いです」
 
びしっと。
ばしっと。
一切の加減をせずに言い放つあやめ。
隣に居る俺がびっくりして壁から落ちそうになるほど強い口調だった。
 
「兄さんを私から奪おうとする全ての存在を私は許しません。 親、親戚、友人、それこそこの世界の全てを敵に回しても」
 
そこまで言うと、あやめは不意に俺の方を向いた。
何となく怒られるんじゃないかって言う気になって、直立不動の姿勢になる。
 
「兄さん」
「はいっ」
「別に兄さんがかしこまる必要は無いでしょうに。 えーと、少ししゃがんでください」
「こうか?」
 
腰を曲げ、上半身をかがめる。
と、次の瞬間。
 
「ん」
「っ!?」
 
キス。
あやめの細くしなやかな指が俺の頬を抑え、少し傾けたくちびる同士が重なり合った。
お子様の描く幻想的なキスじゃない。
くちびるが肉体の一部である事を明確に示すような、言わば外国映画のキスシーン。
俺が呆けている間にも着実に時は進み、その間にあやめは自身の小さな舌をも俺の口内に挿し入れてきた。
くちゅくちゅと音を立てて絡む舌。
次第に荒くなる吐息。
何故か甘い唾液。
幾度も幾度も、あやめの舌と俺の舌が濃厚に絡み合った。

「んぅっ……んふぅ……」
 
たっぷり三十秒以上もの接吻を終え、恍惚とした表情のあやめが俺の頭を解放する。
 
「兄さん、上手」
 
俺は何もしていない。
と、思う。
雰囲気に流されて最後には自分からあやめの舌を強く吸ったりなんてしてない、と、思う。
 
「これで判りました? 勝負にならないって事」
 
もう一度、あやめが遥か下に位置する名雪に向かって言い放つ。
 
「私が来るまでに兄さんを自分のモノにしていなかった貴方が悪いんですよ?
 方法や機会はいくらでもあったはずですから。
 少なくとも、肉体的に近くに居れなかった私よりも」
 
モノにするって言うな。
 
「わ、私だって努力してきたもん!」
「嘘ですね」
「嘘じゃないよ! 何度も何度もアプローチしたもん!」
「貴方の言うアプローチって、何?
 さりげなくよっかかって身体を密着させたりする事?
 それとも自分はこんなに無防備だよって部屋に誘ってみたりする事?」
 
あ、それ何回もあった。
あれってアプローチだったの?
五月蝿いな、俺は鈍感じゃない。
 
「兄さんみたいな最終兵器朴念仁がその程度のアプローチで気付く訳無いでしょう? 数ヶ月間も一緒に暮らしていて、そのくらいの事に気付けなかったんですか?」
「だ、だってそれ以上の事って言ったら………」
 
裸で迫るくらいしかないよなぁ。
 
「裸で迫るくらいの事でもしない限り、兄さんには通じませんよ」
 
同じ事言うし。
あー、名雪の顔がどんどん真っ赤になってく。
 
「は、は、裸って!」
 
うん、高校三年生としては正しい反応だ。
お前は間違ってないぞ、名雪。
 
「裸になるのが恥かしいの?
 そんなに人様に見せられないほどの粗品?
 私にはそうは見えないけど?
 出るトコは出てるし、引っ込むトコは引っ込んでるじゃないですか。
 少なくとも私よりは女性として魅力的なプロポーションですよ。
 ロリコンの人が相手じゃない限り。
 つまり貴方が恐がっているのは、兄さんと言う人間を全て受け入れるだけの覚悟が無いからってだけの事。
 本当に好きな男性に股を開く事も出来ない様なら、いっそ女なんて辞めたらどうですか?」
 
あやめが普通じゃないだけだ。
中学二年生がマタとか言うな。
兄さんは悲しいぞ。
ちょっぴり嬉しいけど。
 
満足げにしているあやめとは真逆に、完全に打ちのめされている名雪。
最早一言の反論も出来無い様子だった。
ただ、壁の下から恨めしそうに俺を睨むだけ。
って、何で俺を睨むかな。
 
「でも……好きなのは嘘じゃないもん……」
 
最後の力を振り絞った一言。
涙ながらに訴えるその姿は、何と言うか破壊力抜群だった。
だが。
 
「キスだけで終わる恋愛が好みなら、おとなしく『なかよし』でも読んでた方が良いですよ、名雪さん」
 
どうも我が妹のあやめには『手加減』とか『容赦』とか言う感情が一切欠けている様だった。
親父とお袋はどんな教育を施したんだ、コイツに。
 
「あー、居た居た」
 
俺が痛む頭を抱えていると、あやめに負けず劣らずの呑気っぷりで真琴が歩いてきた。
その顔は少々呆れ気味だ。
 
「おー、真琴」
「あのさ、さっきからご近所中に話丸聞こえなんだけど」
「げ」
 
マジで?
火サスばりのドロドロした人間関係をご近所中に披露してしまったのか?
裸とかマタとか?
……1ヶ月くらい引き篭もろうかな、俺。
 
「ところであやめちゃんさ」
「はい?」
「三日に一回で良いから真琴にも祐一の事、貸してね」
 
俺はモノじゃねぇ。
 
「一週間に一回で良いなら」
 
お前も。
 
「じゃあさ、三人えっちって興味ある?」
 
真琴ぉ。
 
「一回くらいならやってみても良いと思ってます」
 
超待て。
 
「わ、私も入るっ!」
 
なゆーたす、お前もか。
 
「「ダメ」」
 
うわ、ハモった。
あ、名雪が泣きそう。
 
「受けが三人になると兄さんが大変です」
「それと一人当たりの愛撫が減るからダメ」
「う〜〜〜〜〜〜」
 
その議論に俺の意志が入る余地は無いのな。
それとさぁ、いい加減大空の下でそう言う話題を議論するの止めようぜ。
佐々木さんとか田中さんとか山口さんとか、めっちゃ見てるからさぁ。
 
「あ、あの……三人とか……何の話をしてるんですか?」
 
真っ赤な顔で秋子さん登場。
ひょっとして一番ピュアなのって秋子さんですか?
やべ、可愛い。
 
「外で……その……『そんな事』を大声で……ダメですよっ」
 
頑張ってお母さんっぽくしている秋子さん。
でも、相変わらず顔は真っ赤。
思わず『そんな事ってどんな事ですか?』って質問して苛めてみたい衝動に駆られた。
やんなかったけど。
 
「ひょっとして秋子さんも混ざりたいんですか?」
 
とはあやめの弁。
お前なぁ……やめろって秋子さん苛めるの。
ほら、メチャクチャ赤くなってるじゃないか。
あれ以上赤くなったら多分死ぬぞ?
 
「沢渡さんと交代でなら、良いですよ」
「………………はぃ」
 
今はいって言った今はいって言った今はいって言った。
ちょっと待って違うでしょう秋子さん。
あなたがこいつ等の暴走を止め得る最後の砦じゃないですか。
いや、別に秋子さんがイヤだって言うんじゃなくてその。
ち、違いますよ困った顔なんてしてませんよイヤがってなんかないですって。
何でそんなに可愛い困り顔で俺の事を見るんですか可愛いじゃないですかコノヤロウ。
 
「わ、私も入るもん!」
「「ダメ」」
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結局、この日から俺は北川の家に一ヶ月ほど厄介になる事になった。
その際、二日に一回の割合で『据え膳食わぬは漢の恥』と言う格言の意味を延々と説かれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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後書く
 
500,000Hit記念の『名雪メインのB系列を』と言うリクに対して私が書いたのが、この作品。
聞こえない、私には何も聞こえない。
名雪がメインじゃないじゃないかと云う声も聞こえなければB系列でもないじゃないかと云う声も聞こえない。
思考の偏屈さが如実に現れてきている今日この頃皆様はいかがお過ごs(以下略
一応、祐よりもあやめの方が先にイメージ固定されていたとか。